自閉症の男の子を抱えるシングルファーザーの奮闘記。学校とのやり取りや家族の話、息子の様子などをつづる。
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ノノパパのお仕事
[ ノノパパ ] / 2005/03/09 11:57:35


 私は、3年前まで大手電気メーカーに19年間勤めていた。結構大きな会社だったので給料も良かったし、何よりも自分がしたい職種であったシステム開発をずっと担当していたので、仕事には何ら不満は無かった。どっちかと言えば仕事人間だったと思う。仕事が楽しかったし責任もあった。でも仕事柄休日出勤や深夜の呼び出しなど多かったため、ノノママには負担をかけてしまっただろう。でもその当時は、仕事は家庭を守るために大事なことであたり当たり前とだと思っていた。
 ノノママは、子どもに愛情を感じられないと自称するくらい子どもは好きではなかった。だから、ノノが生まれてからは、私は、結構大変になった。夜ノノが泣くとノノママは、足で私を起こして「ほら!さっきから泣いてるでしょミルクミルク!」って感じだった。もちろんノノママは、何もしなかったってわけではない。食事も作ってくれたし、ノノの障害が認知されてからは、パートも辞めてノノのために一生懸命やってくれたと思う。今思えば、私は、もっとサポートしてやれば良かったのかも知れない。仕事に大きな支障が出ないようにしながら、ノノやノノママに出来るだけ関わってきたつもりだったが、実は、仕事なんかしてる場合じゃなかったのかもしれない。
 ノノが小学校にあがってから、ノノママは、起きられなくなった。寝て過ごす時間が多くなり、家事も育児も段々出来なくなっていった。うつ病がひどくなっていった。そしてその頃、会社の業務拡大再編のため、勤めている事業所が無くなることになり、転勤の話となった。
 その頃、私はかなり責任のあるシステムを任されていた。私が辞める事を言ったとき会社側は、かなり強く抵抗した。しかし私には他に道がなかった。少なからず会社を裏切るような形で辞めなければならなくなって申し訳ないような気がするが、私はそれどころではなかった。
 辞めてから1年くらいは、家でノノやノノママと一緒に過ごした。でも、ノノママは、一向に良くならなず長期入院となった。
 その後私は、家で仕事をしても良かったのだが、家庭と仕事とけじめを付けたかったので、近くに小さな事務所を借りて、会社をつくった。会社と言っても小さな有限会社だが今までやってきたことを生かして、システム開発の仕事を始めた。私と友人の二人とアルバイトの女の子の3人の細々とした会社だ。
 サラリーマンで仕事をするのと会社経営は、全く違う。まずやはり信用が無い。仕事をとるのが大変だ。何とか潰さない程度が今の実力だ。収入などはサラリーマン時代の5分の1くらいになってしまった。
 それでも、時間は融通が利く。誰に気兼ねなく「ノノにご飯食べさせてくるからちょっと出てくる」って言えるのは、何にも変えがたいありがたい事だ。もちろん仕事をキチンとしなければ、自分に跳ね返ってくるわけだから夜も休みもない。でも「ノノの時間」だけは有るのだ
 今、ブログのXMLデータ通信収集システムに関するプログラムの仕様をつくっている。仕事でブログを調べていたら、自分がはまってしまったわけだ。でも、これも仕事の一環ってことで。<(違うだろ〜!)

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 コメント
こんばんはー ( わがままひめ)
2005/03/31 1:49:20
・闘い ・対処 ・お付き合い
なるほどー。
ネットの世界でみなさんが、それとなーく私に伝えてくださっていたのは、こういうことだったのですね。
私は今『闘い』の段階にいて、『対処』の段階へ片足掛かってるけど、でも、滑って落ちそう…
こんな感じでしょうか?
『お付き合い』への道は、まだまだ遠そうです。

心のもやもやをすっきり説明していただいた感じです。
ノノパパさん、ありがとうございます!
野望 ( さちやん)
2005/03/31 8:47:35
知りたい!ノノパパさんの「野望
野望のひとつでも持たないと
前に進めずらいかもしれないな....
なんだか忙しさにカマケテ
手抜きが目立つのです、私って
もっと燃えていかねばー(丿 ̄ο ̄)丿ウォー
わがままひめさん ( ノノパパ)
2005/03/31 10:28:25
わがままひめさんコメントありがとうございます。
やはり自閉症への考え方は人それぞれだと思いますが、
症状が軽く言葉でコミュニケーションできれば社会生活をサポートしてくれる人と暮らすことができますが、低機能自閉症の場合は、やはり何らかの生活介助を必要とします。
先生は、一生面倒見てくれることはありませんし、社会や行政も一朝一夕に変えることはできません。
残る選択肢は、自閉症と上手く付き合っていくことしかなくなってしまうのが現状だと思います。
 ここを訪問してくださる多くの方は、まだ小さい子が多いのでまだまだ闘っていると思いますが、障害の重さによって闘いが終焉する日がくると思います。

さちやんさん ( ノノパパ)
2005/03/31 10:32:06
さちやんさんコメントありがとうございます。
私の野望ですか?まさに分不相応な希望なので野望なのですが、次回書きたいと思います。
期待しないでね。
わがままひめさまのブログから来ました。 ( Rosamonde)
2005/04/03 10:13:22
お初です。わがままひめさまのブログから来ました。

私は今から4年前に今の主治医によって「自閉症スペクトラム&ADHD(診断書上は『自閉症スペクトラム』)と診断されました。去年12月結婚をしました。ダンナは非自閉圏です。

私の場合は大人になってから診断されたので、『闘い・対処・お付き合い』は同時に来ました。今も続いております。診断されてから1年後に関東某所に多くの自閉圏の人と会ってから一気に来たと言う訳です。

私も自閉圏手抜き(?)マダムの生活を中心としたブログ書いております。

と言うことで、よろしくお願いします。

Rosamondeさん ( ノノパパ)
2005/04/03 11:05:59
Rosamondeさんはじめまして。
コメントありがとうございます。

最近成人になってから自閉症圏の診断をされる方が増えていると聴きました。
やはり自閉症児を育てる親の立場とはまた違った情報発信、勉強させていただきます。
これからもよろしくお願いします。

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『闘い』→『対処』→『お付き合い』 (パパはアスペルガー!)
よく拝見させていただいている、ノノパパさんの記事を読んで、なんだか、自分の気持ちというか、自分の今置かれている状況というかが、少し整理できた気がします。   乱暴に要約すると、 <ノノくんが自閉症と言われた時から始まった自閉症との『闘い』は、入園の頃.




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