自閉症の男の子を抱えるシングルファーザーの奮闘記。学校とのやり取りや家族の話、息子の様子などをつづる。
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ノノパパは月へ?!
[ ノノパパ ] / 2005/10/19 12:41:58


 以前わたしは、逃避法とういう記事を書いたことがあった。

 落ち込んでいる誰かを元気付けたくて書いた記事だ。

 その後、程なくして自分がひどく落ち込む羽目になって宇宙へと逃避

してしまったのだが。。

 宇宙へたった独りで旅立つのは、孤独で淋しい。

 宇宙にぽっかりと浮かぶ地球意外は、真っ黒な宇宙空間だ。


 そうだ!月に行こう!

 月なら、地球も見えるだろう。


    月でうさぎと暮そうか。。。



ノノパパを応援してくださった沢山の方々に深く感謝いたします。
こめんと ( 7 ) | とらっくばっく ( 0 )


朝の戦争
[ ノノパパ ] / 2005/09/26 13:57:52

 朝は、毎日6時丁度にノノが起きだす。ほぼ6時丁度にだ。なぜその時間がわかるのか未だに不明だが、ほぼ間違いなく6時に起き出すのだ。
 今朝は、6時にベッドの上をぐるっと走りながら「アルファーリゾート21!」と3回叫んで、リビングへと降りていった。昨夜見た電車のビデオの夢でも見ていたのだろうか? こうして毎朝わたしの朝の戦争は始まる。
 朝は、少しでも遅くまで寝ていたいものだが、ノノが6時に起こしてくれるので、土曜も日曜も同じ時間に起こされることになる。もっとも土日は、二度寝してわたしが会社に遅刻しそうになることもあるのだが。
 昨夜遅くまで起きていたせいか、今朝はとくに眠い。
 ノノの後を追うようにリビングに下りるとノノは、寝っころがってビデオを見ているか、パソコンで遊んでいる。ノノの様子を見ながら朝食の準備を始める。
 朝食のおかずは、多くは野菜炒めだ。夜は、会社を抜け出して準備するのでどうしてもお惣菜が中心になりがちだ。野菜をたっぷり食べさせるには、野菜炒めは、好都合だ。その日によって野菜や味は、変える様に心がけているのだが、はたして気づいているのか。
 今朝も、冷蔵庫を眺めて、キャベツを刻む、今朝は、もやし、ピーマン、にんじん、玉ねぎ、シメジ、それにウインナーソーセージ。お肉を入れることもあるが、簡単さから言ってベーコンやウインナーソーセージをつい使ってしまう。味付けは、毎朝気まぐれで決める。今朝は、塩コショウとオイスターソース少々、それにほんの少しカレー粉を入れた。
 野菜炒めの隣で、味噌汁を作る。と言っても死んだ母のように完全同時進行は出来ない。野菜炒めが出来る頃、味噌汁の鍋のお湯が沸いて、今朝は玉ねぎを入れた。野菜炒めを4つのさらにとりわけ、フライパンを洗い卵焼きを作る。焼き加減を見ながら、味噌汁に豆腐を入れた。卵焼きを皿にとりわけ、味噌を溶かす。最近のだし入りの味噌はほんとうにおいしい。溶かしただけで、それなりにおいしい味噌汁の出来上がり。乾燥わかめを一掴み。これで手抜き朝食の出来上がり。
 すぐさま2階に駆け上がって、ノノ兄を起こす。ベッドから落ちそうな格好でおなかを出して寝ている。ノノとは対照的にノノ兄は、声を掛けたぐらいでは、決して起きない。身体を揺さぶって起こす。「早く起きて、顔を洗って!」朝、家に響き渡るのは、お母さんの優しい声ではなくて、お父さんの太い声だ。
 キッチンに降りて、フライパンを洗い、まな板と包丁を洗って片付ける。もう一度玄関ホールに出て大声で「学校遅れるぞ!」と二階に向かって声を掛ける。ふらふらと階段をノノ兄が下りてきたのを見届けると、ノノ兄の食卓を作る。ノノの食事は、わたしが介助してあげないと無理なので、ノノ専用のお盆に載せてノノのところに行く。ノノは一口食べては、スプーンを置く。味噌汁も手伝ってやって、それでも一生懸命に食べる。ノノが食べ終わる頃には、いつの間にかノノ兄は食べ終わっている。
 「パパ、靴下ないよ!」「そこにあるだろ!」「どこだよ!あ!あった」「給食袋、体育袋、ズック、そこにあるから忘れるなよ!」「わかってるよ!」「ああ!箸と弁当箱ここに置くから忘れるな!」ノノ兄があわただしく仕度をして出て行く「行ってきま〜す!」以前は、ノノも一緒に出て、わたしと一緒に2Kmほどの通学路を学校まで歩いて行っていたのだが、今は、車で送り届けている。わたしの出勤時間が間に合わなくなるからだ。もちろんもう少しわたしが早起きすれば出来ないことではないのだが。  ノノ兄が出て行くと今度は、わたしの仕度だ。急いでシャワーを浴びて、身支度をする。それが終ると直ぐにノノを学校まで送る。
 以前は、下駄箱のところまで行って、ズックを履かせたりしていたが、今は校門のところで送り出す。みんなに声を掛けられながら、校舎に消えていくのを見届けて、家へと急ぐ。
 遅めに起きてくるノノジジの食卓を整えて、急いで朝食を食べる。朝食の食器は、軽く水洗いしておくだけだ。夜にまとめて洗う。熱帯魚にえさをやって。これでやっと朝の戦争は終了だ。
 おっと、会社!会社!「行ってきま〜す!」

こめんと ( 9 ) | とらっくばっく ( 0 )


Y先生ありがとう
[ ノノくん ] / 2005/09/22 20:00:01

 5月から臨時に来て頂いていたY先生と今日でお別れすることになった。
 ブログの記事には紹介していなかったのだが、ノノの担任の先生は、4月の末から、母さんの具合が悪く、休職していらっしゃいました。Y先生は、急遽ピンチヒッターとして赴任された、先生です。

【4月の掲示板に紹介してましたので抜粋です】
昨日、学校までノノを迎えに行ったら、担任の先生に呼び止められ、「ちょっとお話があるので、校内の会議室にお出でねがえませんか?」と唐突に言われ、何だ?何だ?と思いつつノノの手を引き会議室へ。

先生の神妙な面持ちから、これはなんか大変な話かと、構えてしまいました。

話の内容は、

先生のお母さんが病気で、来週から夏休みまで、休暇を取るとのこと。5月中旬から代わりの先生が来ること。

でした。

私は、ノノママのこともあって、そのくらいなら命に関わらないな、などとおもって。顔色も変えずに。「わかりました。お大事になさってください」と答えると、先生もちょっと拍子抜けした様子だった。

今の学校は、ノノのことを知ってくれている先生がみんな転出してしまって不安はあるのだが、仕方が無い。

 5月の連休明けからY先生が赴任された。ノノは、環境の変化についていけるのだろうかと、正直心配だった。今まで3年間以上ずっと同じ先生とマンツーマンで生活してきたのだから。
 赴任されたY先生は、ベテラン先生だった。去年まで現役でお勤めになっていらしたそうだが、退職なさったにもかかわらず、どうしてもと頼まれて2ヶ月間だけとの約束でお引き受け下さったと後で知った。
 初日、ノノは、連休明けで体調が悪いのか、ぐずぐずして学校に行きたがらなかった。今日から先生が変ると知ってるのだろうか?そんな疑問さえ感じた。帰ってくると少し咳が出ていた。翌日微熱が出て、あまり行きたがらないので、お休みさせた。環境の変化もあるのかなぁ。。とちょっと心配だった。
 土日をはさんで、熱も下がったのでちょっと嫌がるノノを学校に送り届けた。学校では、Y先生がとても心配してくれていた。ノノは、それまで2年間無欠席だったからそれもあったのかもしれないけれど。

 そんなスタートを切ったY先生とノノの学校生活は、夏休みまでの予定で1学期の沢山の行事をこなして行く事になった。特に1学期には宿泊学習があって、一泊してくる行事がある。大丈夫だろうか。。と心配だった。
 そんな心配をよそに、Y先生は、遠足、学習発表会(学芸会)、宿泊学習、社会科見学、演劇鑑賞、プールと行事を次々にこなしていった。
 単に無難にこなしただけではなく、ノノが一人で出来るだけやれるようにと先生は、沢山の配慮をしてくださった。
 その変化は、わたしは、痛い程よくわかった。学校行事に行くと、ノノがどこにいるか探せなくなってきたから。みんなと溶け込んで、みんなと同じことが出来る。もちろん同じことが出来てるわけではないのだか、探すのに時間が掛かるくらい。
 始めの予定では、夏休み前までだったが、今日まで期間が延びて、2学期の行事もこなして頂いた。プール納会、そして運動会。給食も沢山食べられるようになった。算数も引き算が出来るようになった。字を書く筆圧も安定してきた。

 今日最後に、よくお礼を言った。先生は「わたしの力じゃありません。ノノくんの頑張りと、お父さんの頑張りですよ」と穏やかな笑みを浮かべてそうおっしゃってくれた。ありがとうY先生!
 来週から、また新しい生活が始まります。一回り大きくなったノノを見て担任の先生は、なんとおっしゃるだろう?

 夏の終わりと共に、ノノの生活も一つの区切りを迎える。

こめんと ( 16 ) | とらっくばっく ( 0 )


ノノジジの怪
[ ジジとババ ] / 2005/08/22 15:48:51
 
 この季節になると思い出すノノジジのエピソードがある。
前にも書いたが、ノノジジは、神経質で無口な人だ。ちょっと頑固で、あまりものを言わず。しかし、ちゃんとやることやる。そんな人だ。
ノノババが生きていた頃は、ノノババとノノ兄を乗せてドライブするのを趣味のようにしていた。「ちょっと一回りして来た」などと言っては、100kmくらい平気で走ってくるときもあった。
 それは、数年前の夏に起こった。
 私は、夏休みには、子ども達を1度は海に連れて行くのが習慣になっていた。海に行くといっても、ノノがあまり長く居られないから、日帰りで少しの時間だけなのだが。毎年、学生のボランティアさんをお願いして、ノノとノノ兄、私とノノママ、そしてボランティアさんの5人で出掛かることが多かった。
 その年も、5人で海に行くように準備をした。もうノノババは、亡くなった後だったので、とりあえずノノジジにも軽く声を掛けた。「一緒に行かない?」しかし、思ったとおりノノジジの答えは「お前達だけでいって来い。」だった。
 ノノババが生きていたときは、この日は、ジジとババが二人っきりになれる数少ない日の1つだったので、声も掛けなかったが、ノノジジもたった一人で留守番も退屈だろうと声を掛けるのだが、1度も首を縦に振ることは無かった。
 
 朝早くと言うほどでもない中途半端な時間に家を出た。
 おそらく海に居られる時間は、2,3時間程度だろうからだ。ノノは、はじめの少しの間だけ海の雰囲気を楽しんでいるようだが、直ぐに嫌になって、泣いたり騒いだり、パニック状態になる。そうなったら、しぶるノノ兄を言いくるめて帰路に着くことになる。
 その年も同じようだろうと思ってさほど早い時間では無く、海に着いたら遅い昼食になるくらいのつもりで家を出た。
 毎年、同県内の海水浴場に行くようにしている。高速道路を使えば2時間は掛からない。遠浅の砂浜で、ライフセーバがいて、放送設備もある。そんな海水浴場じゃないとノノの行動力を考えると安心できないからだ。
 その年の海は、晴れ渡って、暑い日ざしが容赦なく照りつけるまさに海水浴日和だった。前の年が雨に見舞われたのを思い出し、晴れてよかったと安堵した。
 海に着くと、ノノは、待っていられずにそこらじゅうを走り回るので、車を降りるとノノママとボランティアさんは、追いかけるのに専念することになる。結果、私は一人で荷物を降ろして黙々とビーチの陣を設営することになる。まあ、どこのお父さんもさほど変らないのかもしれないが。
 しばらく遊んでいると、案の定ノノは、ぐずり始めた。
 もうこれが始まったら、なだめてあとどれ位もつか、の勝負となる。ノノ兄は、まだまだ遊び足りないのだが、ノノは、泣き喚き始める。
 
 帰るタイミングの判断はいつもノノママだった。「もう!かえるよ!」これで、全て撤収開始だ。ノノ兄もしぶしぶ海からあがる。私がまた一人で撤収作業をしている間も、ノノは、もう1秒も居たくないと言わんばかりにグズる。
 やっとの思いで撤収を完了し、車を帰路に向ける。私は大役を果たしたような安堵の気持ちになる。
 帰路について、直ぐのことだ。ノノ兄が、海岸線の、路肩に泊まった車を指差して「ノノジジだ!」と叫ぶ。
 確かにノノジジと同じ軽のワゴン車が路肩に停まっている。良くある車種だ。
「ああ、そうだね!ノノジジと同じ…」と言いながら通り過ぎざまに我が目を疑う。 車の脇に立って海を見ながらタバコをふかしているその姿。だれあろうノノジジだ! ノノ兄が振った手に気がついたのか、ノノジジもこちらに気が付いたように見えた。
 直ぐ近くのコンビニの駐車場に急遽入る。直ぐ後ろからノノジジの車が入ってきた。 「なんでここにいるの?」私が呆れて聞くと「ちょっとドライブ」と涼しい顔で答える。
一緒に来たボランティアの学生さんは目を丸くして驚いている。
 ノノジジのことだから、高速は使わず一般道を来たに決まっている。2時間半は掛かるだろう。こんなに遠くまで独りでわざわざ。
「一緒に来ればよかったのに」と言ったが、「ドライブだから。」と。
 コンビニの駐車場を後にして、ノノママとボランティアさんと私は3人で大笑いになった。
「ありえない!」
 この季節になると思い出すノノジジの怪である。

こめんと ( 20 ) | とらっくばっく ( 0 )


ラジオ体操
[ ノノくん ] / 2005/08/19 21:58:43

 夏休みのはじめの数日間、地区の子供会で毎年ラジオ体操をしている。朝6時半からのNHKのラジオ放送にあわせて、地区の公園に集まって行う。
 ノノは、毎朝、6時に目を覚ます。ほとんど正確にだ。学校が休みでも、夏休みでもこれは変らない。だから、時間的には、ラジオ体操に参加してもなんら問題は無いのだが、ノノは、毎年家でノノジジとお留守番をして、ノノ兄だけが参加するパターンだった。
 参加しないのには、いくつか理由がある。大きな理由は、ラジオ体操が上手く出来ずに、走り回ったりして他の子に迷惑をかけてしまうのではないか、ということだ。他には、連れて行くのに骨が折れる私やノノママの都合だ。
 4年生になって、ノノは、いろいろな面でだいぶ落ち着いて他のみんなと行動を共にすることが出来るようになってきた。それでも、全校集会のようにみんな並んで先生の話を聞くような場面では、じっとしていられずに何か独り言を言い始めたり、その場を逃げ出そうとしたりする場面があるようだ。それでも、以前に比べれば、見違えるほど団体行動時に我慢出来る時間が長くなってきた。
 ラジオ体操にしても、学校では、みんなと一緒にその時間を過ごすことが出来るようになったと聞いていた。もちろん、きちんと体操が出来るわけではないのだが。
 それでも、運動会の準備運動などで、みんなと一緒にラジオ体操をする場面では、先生に手をとってもらいながらではあるが、それなりに体操の形をまねて身体を動かす姿を目にすることが出来た。
 今年はノノをラジオ体操に連れて行こう! 私は、秘かにそう決めて、夏休みを迎えた。
 ノノは、夏休みに入ってからも、ちゃんと6時には目を覚ました。私のほうが寝坊しそうになりながら、それでも毎日一緒にラジオ体操を行う近所の公園へ行くことが出来た。
 ノノは、はじめ、「ラジオ体操に行きます!」と言うと「だ〜め!いってらっしゃい!おわり!」と言って行くのを嫌がった。それでも私が、絶対に行くんだと態度を崩さないのを見て取ると、今度は、さっさと公園への道を歩き始めた。大人の私でも、早歩きしないと追いつけないほどの速さで、道の右端を一心不乱に歩く。
 ノノは、いつも自分がしたく無いことで、どうしてもしなければならないと察すると、早く終わしてしまおうとする。この早歩きも早く終わしてしまいたいというノノの意思の表れだ。
 会場の公園に着くなり、「おわります!」といって帰ろうとする。手を握って「ラジオ体操するんだよ!」と言うとしぶしぶその場にたたずんだ。時を置かずにラジオから聞き馴れたラジオ体操の歌が流れてくる。
 「新しい朝が来た、希望の朝だ〜♪」晴れた空に響く歌を聞きながら、私はまた一つノノの希望の朝をかみ締めていた。

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ブログお引越しと再開のおしらせ
[ ノノパパ ] / 2005/08/09 21:38:12

 ブログお引越しに伴いしばらくお休みさせて頂きました。

お休みしている間も、皆様から暖かい励ましの言葉を頂きましてありがとうございました。

 これまで同様、また遊びに来ていただければ、とてもうれしいです。

こめんと ( 24 ) | とらっくばっく ( 0 )


ピアノ
[ ノノパパ ] / 2005/06/13 21:59:36

 リビングの奥に小さなアップライトピアノが置いてある。そう高価なピアノでもなく、もう傷だらけで放置してある。ピアノには白いレースのカバーが掛けてある。ノノババが生前どこからか払い下げてきたウェディングドレスの生地を使って作ってくれたものだ。

 先日の休みの日にふと何気にそのピアノが目に留まった。ノノとノノ兄は、学校に行っている。ノノジジは、買い物行って今は一人きり。
 すーと引き寄せられるように、ピアノの前に座る。レースのカバーを捲り上げて、キーを見る。真っ白いはずのキーは、汚れ放題だ。おまけにノノママが貼り付けたドレミシールが中央の1オクターブに張ってある。そっとキーをたたいてみる。かなりずれている。もう10年以上チューニングしていないのだから無理も無い。でも、その澄んだ音色には、こころが洗われるようだ。

 私は、ピアノをまともに習ったことは無い。小学校の低学年まで習っていたが、これ以上進むには家にピアノが無いと無理と先生に言われた。そのころの我が家には、ピアノどころがオルガンさえも無かった。私は、母に懇願した。「ピアノを買って!」と。母は、「父さんに頼んでみる」と言ってくれたが、父は「男の子がピアノなんか習っても何の役にも立たない。」と。母は、月賦で小さなオルガンを買ってくれた。それがその当時の母に出来る最大の愛情であったことは言うまでも無い。

 それから、私はいつかきっと自分でピアノを買ってみせると心に誓った。
 そして、このピアノが、私の初任給の全てでかった中古の小さなピアノだった。

 久しぶりに、弾いてみる。ノノのために童謡を弾いてあげる意外は、もう10数年まともに弾いていないのだからうまく弾けるわけも無く、調律も外れ放題だ。

 ジョージウインストンのオータム、「あこがれ・愛」。私の好きな曲だ。
 一気に時をさかのぼり、当時の私がよみがえる。

こめんと ( 7 ) | とらっくばっく ( 0 )


ひさん、ってなに?
[ ノノパパ ] / 2005/06/04 15:30:01

 先日4学年の懇親会があり、久しぶりに酒が入った。ノノの学校は、各学年1クラスしかないため、学年懇親会のメンバーは、毎年同じ顔ぶれだ。毎回おおよそ3分の1くらいがお父さんで3分の2がお母さんの構成だ。
 大体いつもノノファンの一部のお母さんが、「ノノ君がっばってるね」なんて話をしてくれる。今年も数人の方からノノの話題が聞かれたが、今年は少々周りの話題がいつもと違う。

「そう言えば、この前の授業参観のとき、○○君の新しいお母さん来てたわよね!」
「ああ、××ちゃんのところ、離婚したって知ってた?」

う〜ん私にその手の話題を振りたいのに振れずに居るんだなぁ

 私は、あえて知らないふりをしていたが、奥様方は、ノノママが強烈なキャラクタで、毎回懇親会を盛り上げていただけに興味があるらしい。
 結局私に直接切り出せる奥様は居ないらしく、宴は終盤へと向かった。
 みんな、かなり酒が入ってきていい雰囲気になってきた。隣に、近所のお父さんがお酒を片手にやってきて私の隣に陣取った。

「いやー。ノノパパさん!ノノパパさんも悲惨ですなぁ〜」
  ん?悲惨?
「会社辞めて仕事始めてんでしょう? このご時勢、なかなか大変ですなぁ〜」
  まあ、確かに大変だが、悲惨?かぁ?
「そこへもって、ほら、子供を置いてかれちゃってさぁ。あー悲惨ですなぁ〜」
  置いてかれた?置いていって頂いたのだ!
「その上障碍児でしょう!悲惨ですなぁ〜!」
  なに?障碍児が、悲惨??
「まー三重苦ってところですかぁ?」
  三重苦?なんだぁそれ?

   「いや、あの、悲惨ってことじゃぁー…」
「心中お察ししますよ!んー!」「悲惨だー!」
  あー段々ほんとに悲惨な状態になってきたので、さっさと逃げ出そうとするが。。。

「まぁーノノパパさん!私がいい嫁さん探してあげますから!がんばって下さいよぉ!ね!」
  それは、元気付けられているのだろうか?哀れんでいるのだろうか?

私の肩を思いっきり叩いて
「じゃ、私は、これで。。。」
  おいおい!まだ何も話して無いのに言うだけ言って逃げるのかぁ?

あー立つのもやっとなほどふらついている。酒の上での話だ。あまり気にしても仕方が無い。

 それにしても、三重苦かぁ。そんなことを言われると気が重くなる。
 でも障碍児も悲惨なのかぁ。それがホンネなのだろう。がっかりする。

 どうやら、近所の噂では、嫁さんに逃げられたことになってるようだ。なんか悲惨な話だ。

来週は、6学年の懇親会がある。ずる休みしようか。

こめんと ( 4 ) | とらっくばっく ( 0 )


相撲大会
[ ノノくん ] / 2005/05/23 13:03:10

 ノノの小学校には、土俵がある。そして、年に一回この時期に校内相撲大会が行われる。学年毎に(1学年40人以下の小さい学校だが)全員がトーナメント戦を行い横綱を競う。
 私は、この地区の出身では無いので、相撲大会の伝統については詳しくわからないのだが、ノノジジに聞いてみると、歴史はかなり古そうだ。子供達のお父さんの多くもこの土俵を踏んだらしい。
 子供達は、学年があがるに連れてこの相撲大会に力を入れていくようだ。年をおう毎に誰が横綱だ関脇だなどと会話が聞かれ、練習にも熱が入る。
 実際、試合を見ても、高学年の取組は見ごたえがあり、負けた子は、涙をこぼして悔しがるシーンも多くあった。
 私が小学生の時通った新興住宅地のマンモス小学校には、土俵も相撲大会も無かったので、いま一つ軽んじて考えていたが、この子供達の真剣さや、地区中の年配者が集って見守る緊迫した雰囲気の中にあって、この相撲大会の伝統を感じずにはいられない。
 ノノ兄は相撲大会の前日、夕食を出しに帰宅した私を早々に捕まえて何も言わずに手を引き玄関ホールにいざなった。なんだ?と思ったら既に彼は腰を下ろして戦闘態勢だ!「はっけよーい」声と共に突進!私はあえなくかべに叩きつけられる。「不意打ち、きたないぞ!」と言うと「はっけよーいって言ったじゃん」といってホールの中央に戻る。私も今度は負けない。6年生とはいってもまだ小学生。私の敵ではない。私も構えて。「はっけよーい」言い終わらないうちに突っ込んでくる。その力強さ。ぐいぐい押してくる。技を掛ければひとたまりも無いことは間違いないが、力で押してくるなら受けて立とう。甘く見ていたが、結構本気で押されてしまった。「するいぞ!パパは、靴下はいてるんだから。おまえは、はだしだろう!」「相撲は、はだしでするものですぅ」といってニヤッと笑う。「もう一回!」と私が言うと「もういいですぅ」と言ってさっさと行ってしまった。「勝ち逃げはずるいぞ!」と後ろから声を掛けると「勝負は1度きりですぅ」と。最初は手加減してやったのに。
 大会の日うす曇りで観戦日和だ。高学年の対戦は、後なのでまずはノノが先だ。
 ノノは、例年、友達の取組を座って見ている事が出来ず、ノノの番の少し前に担任の先生と会場に現れる。そして、先生と一緒に土俵に上がり、操り人形の様に先生と一緒に土俵の外に後ずさりして終了だ。そして、また教室に帰ってしまう。これがノノ流の相撲大会参加だった。
 今年はとゆうと、なんとみんなと一緒に会場に座っている。そう、今、担任の先生は2ヶ月の休暇を取っているため、代わりの先生がついている。例年のことを知らないからかそれとも方針か、ノノを他の生徒と一緒に座らせ、先生も隣についてる。んーん座っていられるのだろうか?案の定、暫くするとノノは落ち着きをなくし立とうとしたり、先生の手を引っ張って退場しようとする。先生は、全く動じない。ベテランの先生だ。
 そうこうしているうちにノノの取組の番だ。先生は、ノノの手をとって立ち上がらせると、土俵際で手を離した。ノノは初めて土俵に一人でたったのだ。
 立ったのはいいが、ノノはニコニコしているだけで一向に仕切り線まで進まない。やっぱりそこまでか。と諦めかけた時。子供達から声が掛かった「ノノ!前!前だよ!」その声はだんだん大きくなり西も東もみんなが「まえ!まえ!」と声を掛かる。ノノは、ニコニコしたまま仕切り線までゆっくりと歩いた。みんな拍手してくれている。「はっけよーい」行司役の子供が声を掛ける。ノノはニコニコしたままゆっくりと押し出される。「よくやった!」声が掛かる。「ノノ!」声が飛ぶ。
 最近涙腺がゆるい私は、このくらいのことで、人前で涙を見せないように努力している。だから、嬉しさを胸に秘めて見守っていた。ノノがちゃんとみんなのところに戻り、座ったのを見届けると。後ろから4学年のクラスの担任の先生が声を掛けてくれた。「ノノちゃん凄かったね!去年までは上がることも出来なかったのにねぇ!ほんとに凄い成長!お父さん褒めてやってくださいねぇ!」先生が興奮気味に早口でそう言ってくれた。さすがにうるうるしたが、「ありがとうございます」とお礼を言った。ふと私の側に座っていた4年生の女の子が「ノノちゃん偉かったね!」とニコニコして言ってくれた。幼稚園の時から一緒の子だ「ありがとうね!」さすがにこらえられずに、涙が出そうになった。
 ノノは、この地区のこの子達、先生方と一緒に居られて本当に幸せだと思った。

 さて、ノノ兄はとゆうと、結構接戦の末2回戦で敗退。体格の違いでかなわなかったようだ。かなり悔しそうにしていた。彼の小学校生活最後の相撲大会は終った。


こめんと ( 10 ) | とらっくばっく ( 0 )


見透かされる
[ ノノパパ ] / 2005/05/17 20:16:41

 夕方6時を過ぎる頃私は家路を急ぐ。夕食を家族に食べさせるためだ。この時期は、まだ夕陽が西の山に沈まない。刺すように目に入る夕陽に向かって車で15分ほど走れば家に着く。
 家に着くなりノノの顔を見る。「ただいま」と言うとノノも「ただいま」と言う「おかえり」「おかえり」。これがいつもの挨拶だ。今日は、ノノも機嫌がよさそうだ。簡単なおかずをつくり買っておいたお惣菜と共に食卓を作る。ノノの食事を別に作り、ノノ兄とノノジジに食事を促す。
 ノノは、食事に介助が必要だ。一口食べては、スプーンをおく。一口飲んではスプーンをおく。一緒に根気よく食べさせる。これが我が家のいつもの夕食の風景だ。ノノママの具合が悪くなってら数年ずっとこんな風景だ。

 この穏やかな夕食の風景を維持するには、私にもちょっとした努力が必要だった。離婚を含めて、ノノママの病気、ノノの障碍、母の死。いろいろ辛いことが起こる生活の中でいつしか私は、感情を顔に出さない様にしてきたようだ。どんなに辛くても家族の前では笑っていたい。私が取り乱したら我が家に安住の場所は無くなってしまうと思ったからかもしれない。
 ノノママが包丁を振り回して「ノノを殺して私も死ぬ!」と叫んだ夜。ノノ兄は、その一部始終を物陰からこっそり見ていた。私は、辛くても悲しくても子供達の前では、決しておくびにも出さない様にしていた。

 いつもの様にノノに食事をさせようとした。ノノは、私の顔を見るなり、スーと立ち上がり、ミニカーをとり上げ窓辺で転がし始めた。調子が悪いのだろうか?「ノノ!おいで!」と呼んだが、来ようとしない。こんなことは、ここのところ無かったのに。「ノノ!おいで!!」もう一度強く言うとやっと戻ってきたが、いつもと違って目を合わせようとしない。かまわずスプーンを持たせて食べさせる。散漫だ。横をキョロキョロして私の目を見ない。やはりどこか調子が悪いのかもしれない。と思ったとき。急に私の目を覗き込むように見つめ私の頬を手で優しくなでた。「なかないの」ノノが小さな声で言う。
 何でだ?パパは、笑ってるじゃないか!いつもと同じようにニコニコしてるじゃないか!なんでそんなことを言うんだ!
 ノノは、私の頬にチューして「なかないの」ともう一度言った。こらえられなくなって、目から涙が1粒こぼれ落ちた。いつものように普通に笑顔でいた筈なのに。ノノ兄もノノジジも気づかなかったのに。ノノには、仮面の下が見えるのか?

 考えても自分ではどうしようもないことが世の中にはある。わかっていても考えてしまって、考えれば考えるほど、どうしようもなく辛くなる。

 「パパは、だいじょうぶだからたべよ!」と言うと「はーぁー」と言って、もう一度頬にチューしてくれた。

 この子には、言葉は通じないが、心が通じているんだ。

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