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今朝もいつもの朝と同じようにノノを学校まで送っていった。今年から歩いてなんて思ったりもしたのだか、やっぱり車で学校へ送って行っている。(これは単にノノパパの都合なのだが )
ノノは、学校に着くまで、車の中で大概なにか歌っていることが多い。家を出る直前まで見ているNHKの子供番組関連の歌を歌っていることも多いが、学校で習った歌なども歌っていたるする。
ノノは私が一緒に歌い出すと黙ってしまうことが多い。それで私が歌うのをやめると続きから歌い始めるといった具合だ。
それでも、最近は私が歌い始めても、やめないで一緒に歌ってくれる場面が増えた。
一緒に歌う時は、私は、ハモってやろうといつも試みる。大体はノノの音程がしっかりしていないので上手くいかないか、ノノがつられてキーを変えてしまう。
それでも、たまに、少しの間でも上手くハモれる時がある。
そんな時は、私は、とても上機嫌になるのである。
今朝の選曲は、「気球にのってどこまでも」だ。なぜその曲なのか分らないが、私が小学校の時、合唱コンクールで練習したことがある曲だからよく覚えている。
いつものようにノノが歌いだしたので、私も一緒に歌いだした。今朝は、私が歌い出すと黙ってしまった。私が歌うのをやめると、また歌い出す。いつものパターンだ。
私は、意地悪して、途中からハモりの部分の旋律を歌った。2回目に歌った時だろうか?
『〜気球にのって どこまでいこう〜』の部分を下の旋律で歌い始めたところで、ノノがキチンとキーをあわせて旋律を歌い始めた。1番の終わりまで、ちゃんと合唱できた。
胸に熱いものが走った。
こんな小さなことで、こんなに感動できるのは、この子のおかげだろう。
おまえのパパで、よかった。 ノノ。
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ノノジジは、神経質で無口な人だ。ノノババが生きていた頃は、家事の一切をノノババがやってノノジジは、どちらかとゆうと「お茶!」「新聞!」「風呂!」ってタイプの人だった。 小さい頃私は、そんな父がいやだった。母は、朝から晩まで働いて家事一切をして私を育ててくれた。父は、サラリーマンだったが、土日は休みでは無く、盆も正月も関係なし、おまけに交代制の勤務で不規則な生活だった。だから、私が小さいとき家族旅行などした覚えも無いし、せいぜい日帰りで海に行った記憶しかない。だから、私は、いつも鍵っ子で、母がとても大変だなぁと思っていた。母は、なぜあんな父の言うことを笑顔でハイハイ聞いているんだろうと不思議にさえ思えた。
父は、母より5歳年下で、職場結婚だったようだ。どんな恋愛があったのかは、わからないが、息子の私が言うのもなんだが、若い時の写真を見ると二人ともそれなりに美男美女って感じだ。二人の間には、私のわからない愛情や絆があったのだろうと思う。 散々苦労させてしまった母は、休むまもなく孫(ノノ兄)の面倒を見て、やっと少し手が掛からなくなった頃に亡くなってしまった。これから少しは父と旅行にでも出そうと思っていたのに。
母が亡くなってから、家事一切は、ノノママの仕事となった。父は、ノノママの食事に文句を言うことは無かったが、一緒に生活している以上、子供のことや生活の細かいところで口が出たりすることもあった。 ノノママにとっては、そうしたこともかなりストレスだったことだろう。
| | ノノママが、病床に臥すようになり、段々家事が出来なくなって行くと、その分私が家事をしなければならなくなった。 私が夜遅く仕事から帰ってくると、流しには1日分の食器が山積みであった。洗濯物も山積みになり、夜中に洗濯をした。そんな状況でもノノジジは、家事一切に全く手出ししなかった。 私は、父は、そういう人だと思っていたので、それが当たり前で何の不自然さも感じなかったが、ただただ母は、よくケンカもせずに頑張ってきたなぁと感心した。 ノノママが、入院し家事の全てが私の仕事になっても父は、相変わらすだった。それでも、ノノを学校に迎えに行ってくれたし、私が居ない間は、みていてくれていた。 ノノママと離婚することになった時も、うちの中の生活は、何ら変りはなかった、1年もノノママは家に居なかったしノノ兄には離婚したことを未だに説明していない。だから、生活はなんら変ることがなかった。 そんなある日のことだ、我が家に異変が起こったのは。 私は、いつも一旦会社から戻り、夕食を出してから会社に戻って仕事をする。ノノを寝かせる時間になると帰宅してノノを寝かせつる。それから食器洗いや、洗濯、時には掃除も夜したりする。朝は、何かと忙しくて結局夜になってしまうのだ。夜中にこっそり洗濯物を干しすのは、結構ほねがおれる。音を出さずにしわを伸ばすのはコツがいる。 それでも、夜疲れて寝てしまうこともある。そんな時は朝バタバタと洗濯したりするのでつい洗濯機に洗濯物を残したまま出社して、夜にまた洗濯する羽目になったりする。
| | そんな時でも、ノノジジは、「洗濯機に入ったままだぞ」などと言うだけで一切家事はしてくれなかった。
ある朝私は、出社してから洗濯物を洗濯機に入れたままにしていたのを思い出した。でも、その日は忙しくで抜け出して干す訳にも行かず、帰ってから洗いなおそうと思っていた。 そうして夕食を出しに家に戻ると、ん?夢か幻か?洗濯物が干してある。もしかして私が朝干したのを忘れていたのか?いや、そうではない。明らかに私の干し方と違っていた。 ノノジジが干してくれたのだ。ノノジジは、顔を合わせてもそのことは何も言わずいつもの通りだ。私も「ありがとう」と言うのが照れくさくてそのままになってしまった。 次の日の朝、ノノジジが、「洗濯機ってどうやって使うんだ?」と聞くので、照れくさいのもあって私もぶっきらぼうに「洗濯物入れて、洗剤入れて、スイッチ押すだけ!」と答えると「それでいいのか。」と。 「もう、時間が無いから行ってくるよ!」と言って家を出た。もしかして洗濯してくれるのだろうか?それよりも洗濯機の使い方を聞いてくれただけで、ほんとは嬉しかった。ノノババが生きていたらどんなに驚いたことだろう。ノノババが生きているうちに言ってあげてほしかったのに。そんな思いで胸が詰まった。 帰ってくると、洗濯物が干してあった。神経質な父の性格を反映してカッチリきれいにほしてあった。ほんとは胸が熱くなったのだが、「どうも。」とぶっきらぼうに父に言うと、父は、何も言わずただうなずいた。 それから、ノノジジは、ノノの入浴や、ちょっとした掃除もしてくれるようになった。 こうして、ノノジジのありがたい家事がはじまった。
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今日はノノの学校の始業式だ。4年生になった。担任の先生が変らなかったので何の不安も無く学校に送り届けてきた。
担任の先生は変らなかったが、お世話になった幾人かの先生が転出された。かわりに入ってくる先生方は、ノノを理解してくれるのか?ちょっと不安もある。
ノノは、授業中もかまわず、他の教室に出没することがある。校内放浪の旅だ。小さい学校なのでみんなノノのことを知っているし、ノノが来ても全く気にしないようだ。4年生の通常学級には、ノノが座れる机と椅子が準備されている。1,2年の時は、いつもノノの机が通常クラスの端に設置されていた。ノノは、そこに座って通常学級と一緒に授業を聞くこともあった。もちろんちょっとだけしか辛抱できないのだが。3年になって、通常クラスの担任の先生が変られたこともあるのか、ノノの机は、教室の隅に片付けられ、必要な時だけ出すようになった。ちょっと複雑な思いだったが、これは、学習内容が一緒に出来るものが少なくなったからだとノノの担任の先生から説明があった。それでもノノは、同じ学年のお友達が、体育館や音楽室等に移動するたび様子を見に行って何をしているのか確かめるそうだ。
明日は入学式がある。ノノは、とりあえず一緒に体育館に行くが、騒ぐので途中退場だ。例年のことだ。それでも騒ぎながら退場するので、新入生の保護者の方々には十分アピールされることになるのだが。来年担任の先生が変ったりしたらそんなところから相談しなければいけないと思ったら、ちょと気が重くなる。先のことを考えてもしょうがない。
今朝は下駄箱が4年生の場所に変っているはずなので、昇降口の中まで入った。ノノは3年生のいつもの下駄箱に行こうとしたが、「今日からこっちだよ」って声をかけたら「こっち」といって素直に4年生の下駄箱の列に行った。「今日から4年生だよ」「よん ね んせい」と言って判ったかのか分らないがとりあえずスムーズだった。4年生は、1クラスしかないのでもういちいち下駄箱に名前が書いてない。ノノの下駄箱は、3年までは、クラス通しの出席番号のところにあったがとうやら今年は忘れられたらしい。ノノが入れるところはないようだ。どこ入れるか分らなかったので一番最後の空いてそうなところにとりあえず入れてきた。昔だったら職員室に直行して、ノノの下駄箱を主張してたかも知れないけど、今は、担任の先生に任せておけば大丈夫。それに、端の方でも一向に構わない。この子達は、ノノを苛めたり無視したり絶対にしないのはわかっているし。
もう少ししたら学校の様子を見に行こうと思う。
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先日新聞で教職員の転任の発表を確認した。ノノの先生の名前は無かった。ほっと胸をなでおろした。
先生は、ノノが1年生の時から担任して頂いているので、今年は変るのではないかとハラハラしていた。
先生が変れば、また1から先生との信頼関係を築きなおさなければならないと思うと、かなり大変なことだ。ちょっと心の準備をしていただけに、嬉しい安堵感だ。
春休みに入る前に先生は、今年ノノが学習した軌跡を沢山くれた。字を練習した練習帳や絵など、そして数々の写真だ。
先生は、毎月あったことを写真にして教室に張っておいてくれていた。だから教室の壁を見るとどんな経験をしてきたか人目でわかる。そして最後に、一枚「おもいで」とゆう1年にあったことをまとめたものを張ってくれていたようだ。
私にとっては、あっとゆう間の1年だったが、ノノにとっては、いろいろな経験がいっぱい出来た1年だったのだろう。
先生ご苦労様。そして来年度もよろしくお願いします。
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