自閉症の男の子を抱えるシングルファーザーの奮闘記。学校とのやり取りや家族の話、息子の様子などをつづる。
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相撲大会
[ ノノくん ] / 2005/05/23 13:03:10

 ノノの小学校には、土俵がある。そして、年に一回この時期に校内相撲大会が行われる。学年毎に(1学年40人以下の小さい学校だが)全員がトーナメント戦を行い横綱を競う。
 私は、この地区の出身では無いので、相撲大会の伝統については詳しくわからないのだが、ノノジジに聞いてみると、歴史はかなり古そうだ。子供達のお父さんの多くもこの土俵を踏んだらしい。
 子供達は、学年があがるに連れてこの相撲大会に力を入れていくようだ。年をおう毎に誰が横綱だ関脇だなどと会話が聞かれ、練習にも熱が入る。
 実際、試合を見ても、高学年の取組は見ごたえがあり、負けた子は、涙をこぼして悔しがるシーンも多くあった。
 私が小学生の時通った新興住宅地のマンモス小学校には、土俵も相撲大会も無かったので、いま一つ軽んじて考えていたが、この子供達の真剣さや、地区中の年配者が集って見守る緊迫した雰囲気の中にあって、この相撲大会の伝統を感じずにはいられない。
 ノノ兄は相撲大会の前日、夕食を出しに帰宅した私を早々に捕まえて何も言わずに手を引き玄関ホールにいざなった。なんだ?と思ったら既に彼は腰を下ろして戦闘態勢だ!「はっけよーい」声と共に突進!私はあえなくかべに叩きつけられる。「不意打ち、きたないぞ!」と言うと「はっけよーいって言ったじゃん」といってホールの中央に戻る。私も今度は負けない。6年生とはいってもまだ小学生。私の敵ではない。私も構えて。「はっけよーい」言い終わらないうちに突っ込んでくる。その力強さ。ぐいぐい押してくる。技を掛ければひとたまりも無いことは間違いないが、力で押してくるなら受けて立とう。甘く見ていたが、結構本気で押されてしまった。「するいぞ!パパは、靴下はいてるんだから。おまえは、はだしだろう!」「相撲は、はだしでするものですぅ」といってニヤッと笑う。「もう一回!」と私が言うと「もういいですぅ」と言ってさっさと行ってしまった。「勝ち逃げはずるいぞ!」と後ろから声を掛けると「勝負は1度きりですぅ」と。最初は手加減してやったのに。
 大会の日うす曇りで観戦日和だ。高学年の対戦は、後なのでまずはノノが先だ。
 ノノは、例年、友達の取組を座って見ている事が出来ず、ノノの番の少し前に担任の先生と会場に現れる。そして、先生と一緒に土俵に上がり、操り人形の様に先生と一緒に土俵の外に後ずさりして終了だ。そして、また教室に帰ってしまう。これがノノ流の相撲大会参加だった。
 今年はとゆうと、なんとみんなと一緒に会場に座っている。そう、今、担任の先生は2ヶ月の休暇を取っているため、代わりの先生がついている。例年のことを知らないからかそれとも方針か、ノノを他の生徒と一緒に座らせ、先生も隣についてる。んーん座っていられるのだろうか?案の定、暫くするとノノは落ち着きをなくし立とうとしたり、先生の手を引っ張って退場しようとする。先生は、全く動じない。ベテランの先生だ。
 そうこうしているうちにノノの取組の番だ。先生は、ノノの手をとって立ち上がらせると、土俵際で手を離した。ノノは初めて土俵に一人でたったのだ。
 立ったのはいいが、ノノはニコニコしているだけで一向に仕切り線まで進まない。やっぱりそこまでか。と諦めかけた時。子供達から声が掛かった「ノノ!前!前だよ!」その声はだんだん大きくなり西も東もみんなが「まえ!まえ!」と声を掛かる。ノノは、ニコニコしたまま仕切り線までゆっくりと歩いた。みんな拍手してくれている。「はっけよーい」行司役の子供が声を掛ける。ノノはニコニコしたままゆっくりと押し出される。「よくやった!」声が掛かる。「ノノ!」声が飛ぶ。
 最近涙腺がゆるい私は、このくらいのことで、人前で涙を見せないように努力している。だから、嬉しさを胸に秘めて見守っていた。ノノがちゃんとみんなのところに戻り、座ったのを見届けると。後ろから4学年のクラスの担任の先生が声を掛けてくれた。「ノノちゃん凄かったね!去年までは上がることも出来なかったのにねぇ!ほんとに凄い成長!お父さん褒めてやってくださいねぇ!」先生が興奮気味に早口でそう言ってくれた。さすがにうるうるしたが、「ありがとうございます」とお礼を言った。ふと私の側に座っていた4年生の女の子が「ノノちゃん偉かったね!」とニコニコして言ってくれた。幼稚園の時から一緒の子だ「ありがとうね!」さすがにこらえられずに、涙が出そうになった。
 ノノは、この地区のこの子達、先生方と一緒に居られて本当に幸せだと思った。

 さて、ノノ兄はとゆうと、結構接戦の末2回戦で敗退。体格の違いでかなわなかったようだ。かなり悔しそうにしていた。彼の小学校生活最後の相撲大会は終った。


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見透かされる
[ ノノパパ ] / 2005/05/17 20:16:41

 夕方6時を過ぎる頃私は家路を急ぐ。夕食を家族に食べさせるためだ。この時期は、まだ夕陽が西の山に沈まない。刺すように目に入る夕陽に向かって車で15分ほど走れば家に着く。
 家に着くなりノノの顔を見る。「ただいま」と言うとノノも「ただいま」と言う「おかえり」「おかえり」。これがいつもの挨拶だ。今日は、ノノも機嫌がよさそうだ。簡単なおかずをつくり買っておいたお惣菜と共に食卓を作る。ノノの食事を別に作り、ノノ兄とノノジジに食事を促す。
 ノノは、食事に介助が必要だ。一口食べては、スプーンをおく。一口飲んではスプーンをおく。一緒に根気よく食べさせる。これが我が家のいつもの夕食の風景だ。ノノママの具合が悪くなってら数年ずっとこんな風景だ。

 この穏やかな夕食の風景を維持するには、私にもちょっとした努力が必要だった。離婚を含めて、ノノママの病気、ノノの障碍、母の死。いろいろ辛いことが起こる生活の中でいつしか私は、感情を顔に出さない様にしてきたようだ。どんなに辛くても家族の前では笑っていたい。私が取り乱したら我が家に安住の場所は無くなってしまうと思ったからかもしれない。
 ノノママが包丁を振り回して「ノノを殺して私も死ぬ!」と叫んだ夜。ノノ兄は、その一部始終を物陰からこっそり見ていた。私は、辛くても悲しくても子供達の前では、決しておくびにも出さない様にしていた。

 いつもの様にノノに食事をさせようとした。ノノは、私の顔を見るなり、スーと立ち上がり、ミニカーをとり上げ窓辺で転がし始めた。調子が悪いのだろうか?「ノノ!おいで!」と呼んだが、来ようとしない。こんなことは、ここのところ無かったのに。「ノノ!おいで!!」もう一度強く言うとやっと戻ってきたが、いつもと違って目を合わせようとしない。かまわずスプーンを持たせて食べさせる。散漫だ。横をキョロキョロして私の目を見ない。やはりどこか調子が悪いのかもしれない。と思ったとき。急に私の目を覗き込むように見つめ私の頬を手で優しくなでた。「なかないの」ノノが小さな声で言う。
 何でだ?パパは、笑ってるじゃないか!いつもと同じようにニコニコしてるじゃないか!なんでそんなことを言うんだ!
 ノノは、私の頬にチューして「なかないの」ともう一度言った。こらえられなくなって、目から涙が1粒こぼれ落ちた。いつものように普通に笑顔でいた筈なのに。ノノ兄もノノジジも気づかなかったのに。ノノには、仮面の下が見えるのか?

 考えても自分ではどうしようもないことが世の中にはある。わかっていても考えてしまって、考えれば考えるほど、どうしようもなく辛くなる。

 「パパは、だいじょうぶだからたべよ!」と言うと「はーぁー」と言って、もう一度頬にチューしてくれた。

 この子には、言葉は通じないが、心が通じているんだ。

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病気かストライキか?
[ ノノくん ] / 2005/05/13 20:23:31

 連休前の最後の日、私は仕事が休みでノノを学校まで迎えに行った。いつものように担任の先生と一緒に元気に昇降口を出てきたノノ、車の後ろの席にさっさと乗り込んでしまった。先生に挨拶して帰ろうと思ったとき、先生がなにやら言いたげな顔をしている。
「あのー。ちょっとお時間いいですか?」迎えに行った時にこんなことを言われたのは初めてなので、何か重大なことでもあるんじゃないかと頭の中で電光石火に可能性を探った。「大丈夫です。何でしょうか?」と聞くと。「ここではなんですから、ちょっと会議室方へ。いいですか?」と。ますます怪しい。ここで話せない重大なことで緊急を要することは何だろう?さすがに身構えた。車に乗ってしまったノノをもう一度連れて、昇降口へ連れて行った。ノノも、一度車に乗ってから学校に戻るのは初めてのことで、「い〜や〜」を連発して逃げようとしたが、なだめすかして、何とか学校に戻った。
 学校の『会議室』と書いてある部屋に入る。我が校の会議室は、畳敷きの和室だ。ノノを何とか中に入れる。「直ぐ終るからね」と言うとノノは、さっさと中に入って畳の上に正座すると、「ありがとござました。おわります。」と言ってお辞儀をして立ち上がり私の手をとって「おわり」「おわり」といった。見通しが立たない初めてのことだから不安なのだろう。「ちょーっとまっててね!」と言って騙し騙し先生と話し始めた。話始めると自分が何かされるんじゃないと分ったらしく、部屋を駆け回って遊び始めた。
 先生は神妙な顔で「お時間を取らせてしまってすみません」そのあまりに神妙な顔を見て私は内心穏やかではなかった。
「実は、私の母の体調が悪く入院することになりまして、大変申し訳ないのですが、2ヶ月間介護休暇を取らせて頂く事になりました。」「はい。」「急で申し訳ないんですが、明日からお休みに入りますので、ノノ君は、代わりの先生にみてもらう事になります。大変申し訳ありません。」私は、ほっとして「はい。わかりました。」とあっけらかんと答えた。先生は、私の顔を覗き込むように「申し訳ありません。」と言った。
 後で思ったのだが、私が顔色一つ変えずあっさり返事をしたので先生はけげんそうな顔をしていたのかもしれない。私は、ノノママの自殺騒ぎの次の日だったので、”別に命に別状はないなぁ”と思ってほっとしたのだ。しかし、確かに命に別状は無くても、これはノノにとっては、大変なことであろうことは、容易に想像できた。されとてジタバタしてもどうなるものでもない。
 連休明けの初めの日に家庭訪問があった。私が訪問時間に合わせて家に戻るとノノママは、ちゃんと家に来て待機していた。ノノの担任の先生と、代わりに2ヶ月間みて下さる先生が二人揃って訪れた。優しそうな初老の先生だった。印象的にはベテランの方とゆう感じだ。ノノとも、初対面だったので、ノノを呼んだが、恥ずかしいのか部屋に入れないで、部屋の戸を何度も開け閉めしていた。初対面の人は始めは誰でもこんな感じだ。いろいろお話して、とりあえず、安心してお任せできそうな感じの先生だったで少し安心した。
 そして今週の月曜日、新しい先生との生活がスタートを切った。月曜、火曜といろんなことが出来ました。と連絡帳に書かれていた。水曜には、「ノノ君も大分なれました。」と書いてあった。ん?3日でノノが慣れるか?私はちょっと懐疑心を持った。今までの彼の行動から考えると3日で初めての他人に慣れるとは、とても考えられなかった。しかし、彼ももう4年生。成長したのかもしれないとその時は思った。
 木曜日の朝、ノノは、朝の身支度がダラダラとして調子が悪そうだった。熱は無かったのでそのまま学校に登校させた。登校して暫くして学校から電話が入った。「朝、3回も吐きました」吐いた?ノノは、ここ何年か吐いたことなど無かった。殆んど風邪もひかない子だ。小学校に入ってから、1年生の時に1日休ませただけで、それからは、ただの1日も休んでいない。それが、吐いた?「熱は無いようなんですけど。お迎えに来ていただけますか?」とのことだった。直ぐに学校まで迎えに行くと確かにノノは元気が無く顔色も悪かった。「最後まで頑張るつもりのようで、ランドセルを持とうとしないんです。」先生はノノのランドセルを手に持ってそう言った。「様子を見て、病院に連れて行った下さい」先生はそう付け足した。私は、ノノを家に連れ帰った。その日は私は休日だったので、ノノの様子を伺った。
 ノノは、疲れたように、ごろごろしていたが、食事もちゃんと食べた。熱は無かった。私は、ふと思った。これは、もしかしたら新しい環境になれずに無理をしたせいかもしれない。とりあえず、金曜日も休ませて様子を見ようと決めた。
 今朝、やっぱりノノは、元気が無かった。「今日は、学校お休み!」と言ったが返事が無かった。いつも学校に出かける時間ぴったりに私のところに来た。「今日はお休みしていいよ!」といったら「おやすみ。」と言ってちょっとにっこりした。
 学校に電話して先生に「今日も大事をとって休ませます。」と言ったら「病院に連れて行ってくださいね!」と念を押された。ん〜もしかしたら自閉症のことをあまり深く理解していない先生なのか?とちょっと思った。
 私は、ノノをノノジジに任せて会社に行った。「様子がおかしかったら直ぐに電話して!」と言って。
 夕方、食事の用意に家に戻った。ノノジジに「ノノはどうだった?」と聞くと「な〜に、元気元気!直ったは。」と言った。見ると確かにいつものように元気にノノは、はしゃぎまわっていた。
 これは、やっぱり風邪じゃなくて、ストレスか?と思った。それはそれで厄介なことだ。
 月曜日からどうしたものか。ちょっと頭が痛い。

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涙の散髪
[ ノノくん ] / 2005/05/07 12:08:46

 ノノは、髪に触れられるのがとても嫌いだ!それは、今始まったことではなくて、小さいときからそうだった。散髪は、かなり大変だ。
 以前は、ノノママが行っていた美容室に頼んで切ってもらっていた。それはそれは壮絶だった。
 まず、美容室に入ろうとしない。それを無理やり抱えて中に入る。暴れて泣き叫ぶノノを大人3人掛りで押さえつけて、散髪する。私は、ノノを抱きかかえるように抑制し、髪の毛まみれになりながら切ってもらう。傍から見たら絶対に虐待か拷問だ。実際、ノノも私もヘトヘトになる。
 もちろん、こんなやり方は、不本意だ。しかし、他に方法が無いのだ。
 ノノは、いつも女の子と間違われるくらいまで、髪の毛を伸ばしていた。前髪は、目に入るようになると寝込みを襲って切る。ぐっすり寝ているはずのノノの髪にそっとはさみを近づけるといつも彼は飛び起きて泣いた。だから毎回ほんの少ししか切れない。それでも何とかごまかして切っていくが、やっぱり最後には、女の子のような髪型になってしまう。そうなると、かわいそうだがまた強制散髪に連れて行き、くりくり坊主になって帰ってくる。この繰り返しだ。
 ノノは、小学校に入っても、散髪だけは、どうしても逃げ回った。小さいときは、なんとか押さえつけて拘束できたが、さすがに小学校2,3年生になるともう私の力では、押さえつけて置くこともできなくなってきた。
 それでも小さい頃よりは、我慢できるようになって、美容室の椅子に座って、「10数えるまで。」ガマン「1、2、345678910」って3秒くらいだろうか。我慢できるようになった。それはそれで進歩だが、結局最後は、押さえつけられて、涙、涙の散髪となるのだ。
 少し前、ここ3、4回位だろうか?ノノママの同級生のNちゃんがやっている美容室にノノママが連れて行くようなった。
 Nちゃんは、ノノママの相談相手となってくれているようで、頻繁に遊びに行って話を聞いてもらったり、アドバイスを受けたりしているようだった。
 それまでは、腕力が必要だったため散髪は私の出番だったが、「切れたら切ってもらうから」と言ってノノママがNちゃんの美容室に連れて行った。帰って来たノノの髪はちゃんと切られていた。「大丈夫だったの?」と私は訝しげに聞くと「大変だったけど、何とかなったよ!」と。Nちゃんは、何度も何度も「すわって!」と声をかけて、ちょっと切り、「いや〜」と逃げ出すノノに「すわって!」と気長に声をかけて切ってくれたそうだ。「いや〜あいつ気が長いから〜よくやるよ〜」とノノママは人事のように言う。「で、結局押さえつけなかったの?」私が一番聞きたったのはそこなのだが。「殆んど押さえなったよ!私雑誌読んでただけだから・・」それが本当だったら全く驚きだ!。Nちゃんに感謝せねば。
 それからノノママが何回か散髪に連れて行ったが、そのたびに「前より座ってられたよ!」「かなり座ってたよ!、今度一回見てみぃ!」とにわかに信じられないような話をする。私は、次回は絶対見に行こうと決心した。
 先日私はついに目撃することとなった。その出来事を。 ノノは、Nちゃんの美容室にすんなり入っていった。「ちょっきん。髪の毛ちょっきん。します。」と言って。前は美容室の前に来ただけで泣き喚いていたのに。Nちゃんは、優しく「ここに座ってね〜。直ぐ終るからね〜ちょーっとね〜」と言ってノノを座らせた。そしてエプロンを付けた。私は、エプロンを付けた姿だけでもう涙が出てきてしまった。だって一度も。。そんなこと不可能だったのだから。
 「はい。10数えるまでね!」いやそうにはしているが、座ったまま何とか我慢している。「ほらね!」傍らでノノママが得意そうに私に言う。「もうすこしねぇ〜」Nちゃんは、ゆっくり優しく言葉をかけながら、手は、神業のように早くどんどん切り落としていく。
 「だめーぇ」ノノが立ちあがったとき「ハイ、終わりだよ!」Nちゃんが言った。ノノママは、「あんた泣いてんでしょー!」私を覗き込んでニヤニヤする。泣かずにいられない。涙でかすむ。ノノママが「泣いてんの!N!なんだ!お前までなくなよ〜!」と。見るとNちゃんも泣いていた。「だって、凄いよ!今日は最後まで座ってたんだよ!初めに来た時は全然座ってられなかったんだよ!凄いよ!ノノちゃん!えらいよ!」
 Nちゃんは、泣いて喜んでくれた。私も感動でいっぱいになった。
 ノノママは、「へへ!でしょ!」と自分が褒められているかのように私を小突いた。

こめんと ( 24 ) | とらっくばっく ( 3 )


ノノ兄の幼少期
[ ノノ兄 ] / 2005/05/01 20:05:47

 ノノ兄は初めての子だけあって、写真もビデオもノノの数倍ある。生まれたばかりの頃は、毎日写真を撮ったものだ。
ノノ兄は、吸引分娩で生まれたせいか頭の形がイビツで、後ろから見るとちょっと横を向いているんじゃないかと思うほどだった。でも、初めての子供で親バカにはなが咲きとても可愛がられた。
 生後、1,2週間は、母乳とミルクの混合だったが、その後はミルクのみとなった。ノノ兄は、秋に生まれたので、直ぐに東北の寒い冬が来て、夜中ミルクをつくりに寒い台所に行くのも辛く、いつしか私の仕事と化してしまっていた。

 ノノ兄は歩きはじめるのがとても早かったが、言葉がなかなか出なかった。3歳の誕生日を過ぎても殆んど話すことが出来ず、いよいよ障害でもあるんじゃないかと心配になった。しかし、3歳を過ぎた翌年明け頃から、急に話しはじめた。幼稚園に入園する頃になってやっと何とか会話が出来るようになったのだが、とても流暢な会話とは言えず、先生の言うことがわかるのかとても心配した。
 その後言葉数は徐々に増えてはいったが、ノノ兄の言葉は、テレビやビデオなどのセリフをつなぎ合わせたような変な言葉で、その場の雰囲気には何となく合っているのだが、「それどうゆう意味?」と聞くと「わかんない。」と答える場面が多かった。
 かくして、「意味のわからない言葉は、使わない!」と叱られる羽目になった。現在は、随分マシになったがその傾向は6年生になった今でも続いている。
 そんなこともあり、弟のノノには、お兄ちゃんよりきっと早く話が出来るようになる、なんて勝手な期待を抱いていたのだ。その期待は、のちに無残にも砕け散るのであるが。

 幼稚園に入園してからも、ノノ兄は、言葉の理解が他の子より劣っていた。よくしゃべるのではあるが、よく意味が分らないことが多々見られた。それでも、何とか他の子達と同じことができた。
 その頃には、ノノの障害がはっきりしてきて、ノノ兄は、ノノババに任せっきりになって、おばあちゃん子となっていく。夜寝る時もノノジジとノノババのところで寝るようになっていた。
 ノノママは、「ノノに手がかかるんだからしょうがないのよ!」「ノノ兄は、ばあちゃんにあげたの!」などと口にしていた。

 ノノに自閉症の判定が下り、ゆるぎない自閉症っ子となった後にノノママは、ノノ兄を療育センターの先生のところに連れて行き、判定をお願いした。「この子は、絶対ADHDよ!」と主張した。確かに、ノノ兄は、注意散漫なところはあったし、多動といえば確かにちょろちょろして言うことを聞かなかった。だからノノママは、判定をしてもらうと言い出したのだ。
 ノノも担当していただいている先生の所にノノ兄を連れて行った。「先生、今日は、ノノじゃなくてノノ兄の判定をお願いしていましたので、よろしくお願いします。」とノノママは自信たっぷりに先生に言った。私は、ノノも連れて行ったので、センター内を走り回るノノを追いかけるので精一杯だった。
 ノノママは、暫く先生と話して説明していたが、その間先生は、ノノの様子を気にかけながら聞いていたように私は感じた。「お母さん。心配しすぎです。ノノ兄君は、正常ですよ。」と先生は優しく言った。「え!?先生よく見てください。こんなに散漫だし目もあわせないし・・・」「お母さん、大丈夫です。」ノノママは、悔しそうな顔をしたように私には見えた。
 「ぜえったいこいつおかしいのに!」帰りの車の中でもノノママは、納得できない様子だった。
 しかし、先生のおっしゃったとおり、ノノ兄は、他人よりワンテンポ遅れることはあったが何とか他の子と同じことができるようになっていった。
 今では、「頼むから、少し黙っててくれない!!」と言われるほど、言葉数が多い子になった。

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 コメント
お邪魔します ( かうす)
2005/02/20 0:05:08
 ノノパパさんは、ノノジジさんとノノ君の男だけ暮らしなんですね。家事もあって、大変なんでしょうね。
 ノノババさんの事、読みました。『雪片付け』とあったので、雪の多い地域なんですね。関係ないですが、私の母が震災のあった雪の多い地域の出身です。
 ノノくんは、学校はどちらなんでしょう??
 私も今は4月から、2人が楽しく&問題なく学校に行って、少しづつでも成長してくれる事を願ってます 
ありがとうございます ( ノノパパ)
2005/02/20 12:29:29
 かうすさんコメントありがとうございます。
 私は、東北在住です。今年は雪が多くて大変です。(^^;
 学校は、地元の小学校に特殊学級をつくってもらってマンツーマンでやってもらってます。この辺りも大分紆余曲折がありましたので、折々書きたいと思います。
 小学校に入ってからいろいろな面で成長したと思います。これから中学、それ以降と不安もいっぱいですが、がんばって行きたいと思います。
 いろいろ親にしか分からないことって沢山ありますよね。これからも、よろしくお願いします。

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