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この季節になると思い出すノノジジのエピソードがある。 前にも書いたが、ノノジジは、神経質で無口な人だ。ちょっと頑固で、あまりものを言わず。しかし、ちゃんとやることやる。そんな人だ。 ノノババが生きていた頃は、ノノババとノノ兄を乗せてドライブするのを趣味のようにしていた。「ちょっと一回りして来た」などと言っては、100kmくらい平気で走ってくるときもあった。 それは、数年前の夏に起こった。 私は、夏休みには、子ども達を1度は海に連れて行くのが習慣になっていた。海に行くといっても、ノノがあまり長く居られないから、日帰りで少しの時間だけなのだが。毎年、学生のボランティアさんをお願いして、ノノとノノ兄、私とノノママ、そしてボランティアさんの5人で出掛かることが多かった。 その年も、5人で海に行くように準備をした。もうノノババは、亡くなった後だったので、とりあえずノノジジにも軽く声を掛けた。「一緒に行かない?」しかし、思ったとおりノノジジの答えは「お前達だけでいって来い。」だった。 ノノババが生きていたときは、この日は、ジジとババが二人っきりになれる数少ない日の1つだったので、声も掛けなかったが、ノノジジもたった一人で留守番も退屈だろうと声を掛けるのだが、1度も首を縦に振ることは無かった。
| | 朝早くと言うほどでもない中途半端な時間に家を出た。 おそらく海に居られる時間は、2,3時間程度だろうからだ。ノノは、はじめの少しの間だけ海の雰囲気を楽しんでいるようだが、直ぐに嫌になって、泣いたり騒いだり、パニック状態になる。そうなったら、しぶるノノ兄を言いくるめて帰路に着くことになる。 その年も同じようだろうと思ってさほど早い時間では無く、海に着いたら遅い昼食になるくらいのつもりで家を出た。 毎年、同県内の海水浴場に行くようにしている。高速道路を使えば2時間は掛からない。遠浅の砂浜で、ライフセーバがいて、放送設備もある。そんな海水浴場じゃないとノノの行動力を考えると安心できないからだ。 その年の海は、晴れ渡って、暑い日ざしが容赦なく照りつけるまさに海水浴日和だった。前の年が雨に見舞われたのを思い出し、晴れてよかったと安堵した。 海に着くと、ノノは、待っていられずにそこらじゅうを走り回るので、車を降りるとノノママとボランティアさんは、追いかけるのに専念することになる。結果、私は一人で荷物を降ろして黙々とビーチの陣を設営することになる。まあ、どこのお父さんもさほど変らないのかもしれないが。 しばらく遊んでいると、案の定ノノは、ぐずり始めた。 もうこれが始まったら、なだめてあとどれ位もつか、の勝負となる。ノノ兄は、まだまだ遊び足りないのだが、ノノは、泣き喚き始める。
| | 帰るタイミングの判断はいつもノノママだった。「もう!かえるよ!」これで、全て撤収開始だ。ノノ兄もしぶしぶ海からあがる。私がまた一人で撤収作業をしている間も、ノノは、もう1秒も居たくないと言わんばかりにグズる。 やっとの思いで撤収を完了し、車を帰路に向ける。私は大役を果たしたような安堵の気持ちになる。 帰路について、直ぐのことだ。ノノ兄が、海岸線の、路肩に泊まった車を指差して「ノノジジだ!」と叫ぶ。 確かにノノジジと同じ軽のワゴン車が路肩に停まっている。良くある車種だ。 「ああ、そうだね!ノノジジと同じ…」と言いながら通り過ぎざまに我が目を疑う。 車の脇に立って海を見ながらタバコをふかしているその姿。だれあろうノノジジだ! ノノ兄が振った手に気がついたのか、ノノジジもこちらに気が付いたように見えた。 直ぐ近くのコンビニの駐車場に急遽入る。直ぐ後ろからノノジジの車が入ってきた。 「なんでここにいるの?」私が呆れて聞くと「ちょっとドライブ」と涼しい顔で答える。 一緒に来たボランティアの学生さんは目を丸くして驚いている。 ノノジジのことだから、高速は使わず一般道を来たに決まっている。2時間半は掛かるだろう。こんなに遠くまで独りでわざわざ。 「一緒に来ればよかったのに」と言ったが、「ドライブだから。」と。
コンビニの駐車場を後にして、ノノママとボランティアさんと私は3人で大笑いになった。 「ありえない!」 この季節になると思い出すノノジジの怪である。
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ノノジジは、神経質で無口な人だ。ノノババが生きていた頃は、家事の一切をノノババがやってノノジジは、どちらかとゆうと「お茶!」「新聞!」「風呂!」ってタイプの人だった。 小さい頃私は、そんな父がいやだった。母は、朝から晩まで働いて家事一切をして私を育ててくれた。父は、サラリーマンだったが、土日は休みでは無く、盆も正月も関係なし、おまけに交代制の勤務で不規則な生活だった。だから、私が小さいとき家族旅行などした覚えも無いし、せいぜい日帰りで海に行った記憶しかない。だから、私は、いつも鍵っ子で、母がとても大変だなぁと思っていた。母は、なぜあんな父の言うことを笑顔でハイハイ聞いているんだろうと不思議にさえ思えた。
父は、母より5歳年下で、職場結婚だったようだ。どんな恋愛があったのかは、わからないが、息子の私が言うのもなんだが、若い時の写真を見ると二人ともそれなりに美男美女って感じだ。二人の間には、私のわからない愛情や絆があったのだろうと思う。 散々苦労させてしまった母は、休むまもなく孫(ノノ兄)の面倒を見て、やっと少し手が掛からなくなった頃に亡くなってしまった。これから少しは父と旅行にでも出そうと思っていたのに。
母が亡くなってから、家事一切は、ノノママの仕事となった。父は、ノノママの食事に文句を言うことは無かったが、一緒に生活している以上、子供のことや生活の細かいところで口が出たりすることもあった。 ノノママにとっては、そうしたこともかなりストレスだったことだろう。
| | ノノママが、病床に臥すようになり、段々家事が出来なくなって行くと、その分私が家事をしなければならなくなった。 私が夜遅く仕事から帰ってくると、流しには1日分の食器が山積みであった。洗濯物も山積みになり、夜中に洗濯をした。そんな状況でもノノジジは、家事一切に全く手出ししなかった。 私は、父は、そういう人だと思っていたので、それが当たり前で何の不自然さも感じなかったが、ただただ母は、よくケンカもせずに頑張ってきたなぁと感心した。 ノノママが、入院し家事の全てが私の仕事になっても父は、相変わらすだった。それでも、ノノを学校に迎えに行ってくれたし、私が居ない間は、みていてくれていた。 ノノママと離婚することになった時も、うちの中の生活は、何ら変りはなかった、1年もノノママは家に居なかったしノノ兄には離婚したことを未だに説明していない。だから、生活はなんら変ることがなかった。 そんなある日のことだ、我が家に異変が起こったのは。 私は、いつも一旦会社から戻り、夕食を出してから会社に戻って仕事をする。ノノを寝かせる時間になると帰宅してノノを寝かせつる。それから食器洗いや、洗濯、時には掃除も夜したりする。朝は、何かと忙しくて結局夜になってしまうのだ。夜中にこっそり洗濯物を干しすのは、結構ほねがおれる。音を出さずにしわを伸ばすのはコツがいる。 それでも、夜疲れて寝てしまうこともある。そんな時は朝バタバタと洗濯したりするのでつい洗濯機に洗濯物を残したまま出社して、夜にまた洗濯する羽目になったりする。
| | そんな時でも、ノノジジは、「洗濯機に入ったままだぞ」などと言うだけで一切家事はしてくれなかった。
ある朝私は、出社してから洗濯物を洗濯機に入れたままにしていたのを思い出した。でも、その日は忙しくで抜け出して干す訳にも行かず、帰ってから洗いなおそうと思っていた。 そうして夕食を出しに家に戻ると、ん?夢か幻か?洗濯物が干してある。もしかして私が朝干したのを忘れていたのか?いや、そうではない。明らかに私の干し方と違っていた。 ノノジジが干してくれたのだ。ノノジジは、顔を合わせてもそのことは何も言わずいつもの通りだ。私も「ありがとう」と言うのが照れくさくてそのままになってしまった。 次の日の朝、ノノジジが、「洗濯機ってどうやって使うんだ?」と聞くので、照れくさいのもあって私もぶっきらぼうに「洗濯物入れて、洗剤入れて、スイッチ押すだけ!」と答えると「それでいいのか。」と。 「もう、時間が無いから行ってくるよ!」と言って家を出た。もしかして洗濯してくれるのだろうか?それよりも洗濯機の使い方を聞いてくれただけで、ほんとは嬉しかった。ノノババが生きていたらどんなに驚いたことだろう。ノノババが生きているうちに言ってあげてほしかったのに。そんな思いで胸が詰まった。 帰ってくると、洗濯物が干してあった。神経質な父の性格を反映してカッチリきれいにほしてあった。ほんとは胸が熱くなったのだが、「どうも。」とぶっきらぼうに父に言うと、父は、何も言わずただうなずいた。 それから、ノノジジは、ノノの入浴や、ちょっとした掃除もしてくれるようになった。 こうして、ノノジジのありがたい家事がはじまった。
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下校時は、ノノジジが車で学校まで迎えに行く日がある。週に2日間は、下校指導で徒歩で帰ってくるが、あとは、車で学校まで迎えに行く。ノノジジは、結構神経質な人なので、大体は時間より早く学校について、ノノが出てくるのを待ている。いつもは、担任の先生が一緒に外まで出てきて、ノノをノノジジに引き渡す格好である。
今日は、たまたまノノが一人で出てきたので、ノノジジはノノを車に乗せると、先生が来るのを待っていた。しかし今日に限ってノノが早く車を出すように騒いだので、ノノジジは、しばらく待っても先生が来ないので、何の気なしにそのまま家に戻って来たのだ。一見たいして問題は無いように思えるが、その頃学校では、大変な騒ぎになっていた!
ノノくんがいない!実は、今日は担任の先生が午後から出張だった、変わりにいつもは空いている先生が、面倒を見てくれるのだが、今日に限って出張の先生が多く、校長先生がノノの下校準備をしてく下さっていたのだ。後で分かったことだが、こうゆうことらしい。
| | 校長先生が、下校準備をさせようとノノの教室に行ったら、ノノの姿がなかった。そこで校長先生は、校内を探した。その頃ノノは、既に一人で机の中のものをランドセルにしまい、外套を着て外に出ていたのだ。そしてノノジジに早くこの場を立ち去るように騒いだのだ!いわば確信犯! 校長先生は、いよいよ校内に見当たらないので、ノノの下校路をひたすら2km歩いて家まで来てくれた。そしてノノジジに「ノノくんは、帰ってますか?」とだけ聴いて帰ったそうだ。
仕事から帰ってその話をノノジジから聞いて、私は直ぐことの真相を悟った。今日は校長先生が下校の準備をすると予め連絡があったからだ。 とるものもとりあえず学校に行って、校長先生に謝った。校長先生は、いいえ私の責任ですから。と言ってくれたので、ほっとした。 ノノジジにちゃんと先生に言ってから連れてくるように言ったが、ノノジジは、何が悪いのかよくのみ込めていないようだった。
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今日は土曜日で学校はお休み。 ノノパパは、土日もお仕事なのでノノジジが家で面倒を見ている。 ノノジジは、定年退職して年金暮らし。本当ならノノババとゆっくり老後を過ごしたかったと思う。
4年前のあの日は、雪がいっぱい積もってノノババは朝から一人で雪片づけしてた。なかなか終らないので、ノノジジが見に行ったら、ノノババは雪の上に倒れてた。救急車が来たときには、もう呼吸してなかった。くも膜下出血と医者に告げられ、もう手の施しようが無いと言われた。数日後ノノババは、天国に行った。
その日から家の中が壊れ始めたのかも知れない。 ノノママは、それまでノノくんに付っきりだった。ノノババが、逝ってしまってから、ノノママに家中のことがのしかかっていったのかもしれない。
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