自閉症の男の子を抱えるシングルファーザーの奮闘記。学校とのやり取りや家族の話、息子の様子などをつづる。
リンクフリーです。


「ぼくうみ」を映画に!
要悔悟
逃避法
ノノパパの野望
見透かされる
涙の散髪
自閉症って暗い子?!
自閉症の考察 その1
自閉症とお付き合い
幼稚園時代
よわね
仕事が先か家庭が先か?
母子家庭と父子家庭
朝の戦争

2024年4月
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930
前月翌月

2005年10月
2005年09月
2005年08月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
2005年02月

ノノくん
ノノパパ
自閉症
ジジとババ
ノノママ
ノノ兄

ノノパパは月へ?!
朝の戦争
Y先生ありがとう
ノノジジの怪
ラジオ体操
ブログお引越しと再開のおしらせ
ピアノ
ひさん、ってなに?
相撲大会
見透かされる

webmaster/ひさん、ってなに?

ボイストレーニング方法(おふざけボイストレーニング方法)
幼稚園時代(ノノパパのシングルファーザー迷走記)
「自閉症だったわたしへ」(ねむたくなぁい?)
ちょっとだけ遊べました。(SEパパの育児日記)
さて、4月になりました。(メンタルママの記録帳)
親近光速(もののはじめblog)
『闘い』→『対処』→『お付き合い』(パパはアスペルガー!)
トラバより。自律すると言うことについて。(自閉症スペクトラム白書)
【おすすめ】要悔悟(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)
「うつ病になったらどうしよう!」症候群(パパはアスペルガー!)



要悔悟
[ 自閉症 ] / 2005/04/04 14:08:43
自閉症が始まったのは、自閉症と言われた日ではない。自閉症は、先天的な障碍だ。親の苦悩は何も自閉症と言われた日に始まった訳ではない。そのこともあえて文章にしたい。私の罪は消えるわけでも癒える訳でもないが、もしかしたら、これを読んだ誰かを救えるかもしれないから。
私は自閉症のことを良く知らなかった。そのような障碍があることは知っていたが、その特性がどんなものなのか知らなかった。
ショッピングセンター等で騒いだり大きな声を出して走り回ったりしている子を見た時、あなたはどう思うだろうか?陳列された商品を片っ端から落としていく子供を見たらどお思うだろうか?それがわが子だったどうするだろうか?
まだ、小さいから、言って聞かせてもわからない。だから、怒る。怒っても止めない。そして大声が罵声になる。それでも止めない。手を上げる。それでも止めないのだ。どうすればいい?
 座っていられない。静かにしていられない。目を合わせない。悪いことでも止めない。騒ぐ。走り回る。パニックになる。寝ない。
ノノママは、いつも気が立っていた。思うに任せないノノと一緒に居る事だけでイラつく。罵声が飛び、手も飛ぶ。「なんでそうなの!」疲れ切っても夜寝ない。叩く、泣く、騒ぐ。私は、帰りが遅い。そんな生活をしていた。私も何度となく力でノノを制した。泣き喚いても制した。なんて頑固な子なんだ。
「生まなきゃ良かった」「この子さえ居なければ」ノノママは、時々そんなことも口にするようになった。
ノノママが、怒って叩いても私は、何も言えなかった。ある程度きつい躾が必要なのかも知れないと思っていたからだ。それでも常軌を逸っしてくるとしばしばノノを抱えてリビングで寝たりした。虐待なのでは?と思ったこともあった。もちろんノノが怪我をするほどひどいことはしていないと信じたい。私は、今振り返ってもノノママを責める事はできない。なぜなら私も共犯だからだ。ノノにとっては地獄の日々だったのかもしれない。
自閉症と判った後も現状を打開する方法は、見つからなかった。「なぜそうなんだ」とゆう疑問の答えが「障碍だから」とゆう以外に生活の多くは変らなかった。なぜなら自閉症をどう扱っていいのか判らなかったからだ。そんな頃児童相談所の紹介で、ある自閉症の支援団体にノノを連れて行った。先生は、「ここに来るべき子です」とおっしゃった。そこでの先生の対応は、今まで見たことの無い接し方だった。目を合わせず、ゆっくり優しく声をかけ、行動を制限せず観察するようだった。ノノママとノノは、そこへ通うことになった。ノノママの話から私が受けた印象は、ノノの教育よりも自閉症児のお母さんの教育とケアに重点が置かれていたようにも感じた。それは、ノノママにとっては辛い日々だっただろう。私もできる限り一緒に通ってノノのことや、その対処を学んだ。これが無ければ混迷はもっとずっと長く続いただろう。

私が言うのも痴がましいが私の失敗の様にならないでほしい。わが子がほかの子と違ったら、直ぐに専門家に相談してほしい。相談しても何も得られない場合もあるかもしれない。そんな時は、もっと広い視野にたって子供をよく観察してほしい。自閉症は、1000人に数人(最近の統計では6人とのデータもある)くらいいるのだ。決して少ない数ではない。
 そしてもう一つ。両親で障碍を理解し育てて行く事。これがとても重要だ。ややもすれば父親は目を背けがちだ!父親の会で飲んで話していても、良く判らないから(妻に)任せっきりだと言うお父さんは多いし、「障害のある子は、我が子と思えない」と言うお父さんすら居た。とんでもないことだ。母親一人で背負いきれる問題ではないし、背負わせてはいけないことだ。

ノノママの心の傷は、癒えることは無かったのだと思う。その後病床に臥しても「二人だけだったらよかったね。子供は要らなかったね」と呟く事が多かった。そんな時私はいつも「ノノを生んでくれて感謝してるよ」と答えた。

 ノノの療育手帳には、『要介護』の真っ赤なハンコが押してある。私には時々「要悔悟」に見える。

こめんと ( 20 ) | とらっくばっく ( 2 )


自閉症とお付き合い
[ 自閉症 ] / 2005/03/30 21:30:41
自閉症と言われた時、闘いが始まった。自閉症との闘いだった。どうしたら直るんだ?どうしたら良くなるんだ?どう接すればいいんだ?どんな事をどんな風に教えれば良いんだ?
いや、そもそも時間が経てば良くなるに違いない。ちょっと他の子と違うけど、いづれは良くなるに違いない。と思って闘っていた。自閉症と。
 しかし幼稚園に入る頃、闘いは終った。自閉症との闘いは完敗だった。私の中で何かが終って何かが始まった。
幼稚園に入ってから、自閉症の対処の日々が始まった。この子にどお対処すればいい?先生にどう対処すればいい?他の子や親御さんにどう対処すればいい?先生は、この子にどう対処してくれる?他の子供たちはどう対処している?
 自閉症に振り回される。いつも新しい心の対処を作り出す。精一杯の対処。対処の生みの苦しみ。自閉症への対処は、私の中の常識をことごとく塗り替えた。あたらしい価値観が生まれた。
小学校に入ってから、自閉症とのお付き合いが始まった。自閉症に対する心の動揺は無くなった。自閉症と上手くお付き合いすることを考えた。心が穏やかになった。自閉症も悪くないと思う瞬間もあった。
 そして、将来の生活への不安が大きくなってきた。この子は将来生活して行けるのか?この子をどう生かせばいいのか?何が必要なのか?何をしてやれるのか?
 自閉症とお付き合いしながら日々考えている。私の中に1つの野望が生まれた。
 つづく
こめんと ( 6 ) | とらっくばっく ( 1 )


幼稚園時代
[ 自閉症 ] / 2005/03/21 13:50:39
幼稚園に入園させてもらってから暫くの間、ノノママは、ノノと一緒に幼稚園に通った。1つは、自分のことが全く出来ないことと、もう一つは、みんなと同じ場所に留まることが出来ないことの二つが集団生活をする上で大きな障害となるものだったからだ。
 その頃のノノは、食事も数種類のものしか口にせず、食器やスプーンなどにも強いこだわりがあった。だから園での食事はご飯のみか、ふりかけをちょっとかけたものを口に運んでやらなければ全く食べなかった。実際昼食は、食べない日が多かったくらいだ。そして排便の問題。結局ノノは、幼稚園の間中オムツを使っていた。トイレトレーニングは懸命にノノママも先生もやったが、彼はガンとしてトイレでは用をたさずにオムツにしかしなかった。実は小4になる今でも排便の問題は解決していない。
 もう一つが多動だ。まず同じところに留まらない。園児が集まって、園長先生の話を聞いていても、ノノはステージに上がって、園長先生の後ろで踊りのパフォーマンスを見せた。また、みんなが一斉に歌ったり、大きな音がすると耳をふさいでその場から逃げ去った。入園したばかりの頃は、園の外まで逃げて問題となったこともあった。
 はじめの年の運動会では、先生やノノママに手を引っ張られて泣きながらひきづられるように走る姿に絶望感すら感じた。
そんな状態が半年ほど続いただろうか。ノノママは、園に通わなくなった。通う必要がなくなったのだ。何が変ったのか?ノノは、相変わらず集団行動していなかったが、園の敷地から出ることが無くなった。彼は、自由気ままに園内を飛び回っていたが、どうやら自分のクラスを認識しクラスメイトも意識しているようだった。クラスの子達が何か別のことを始めると、必ずクラスに戻ってきて何をしているか観察して見切るとまた園内放浪に出る。といった感じだ。しかし次第に先生と手をつないで一緒に居られる時間が長くなってきた。排便に関してもオムツをしていたが、用をたすと自主的に職員室に知らせることが出来ようになったのだ。
 ノノママが通わなくなって彼は、段々その集団の中に居られるようになってきた。何よりも他の園児がノノがそこにいて当たり前で、ノノがなんかしでかそうとするとちゃんと先生に知らせてくれた。
 年長の年の運動会では、先生に手を引かれているが、自主的に一緒に走っているノノ姿を見ることが出来た。
 この頃になると、周りの園児たちとの係わり合いがとても自然になってきているのを感じた。はじめは、つまはじきにされているような感じだったが、お友達がノノの存在を認め、話しかけたり手を引いたりしている姿が多くみられた。もちろん話しかけても答えたり出来ないのだが。
そんな姿を見て小学校もこの子達と一緒に居られたらどんなにいいだろう!と思い始めた。しかし、この学区の小学校は1学年1クラスしかない小さな学校で、特殊学級は無かった。実際、同学区の1つ年上の自閉症の子は、別の小学校の特殊学級に通っていた。
 しかし、ノノママは、奮起した。校長先生や教育委員会やありとあらゆる所にノノパパの首根っこをつかんで嘆願に行った。「この子を地元で育てたいんです。地元の子供たちとの関わりを断ち切りたくないんです。」いろいろ陳情に行ったがどこでも色よい返事は貰えなかった。私は、わらをも掴む気持ちで、県議会議員や市議会議員などに陳情に足を運んだ。意外にも、地元選出の県議会議員は、「わかりました。絶対と言えませんがなんとかしましょう」などと言ってくれた。私は公約は破るためにあるからなぁなどど思ってそう気にも留めなかったのだが、やるべきことは、やったとゆう感じではあった。
地元の小学校への入学の知らせが届いた時、私とノノママは、狂喜乱舞した。本当に嬉しかった。
 こうして地元の小さな小学校にノノ一人の教室が出来上がった。
その奇跡は卒園式のときに起きた。卒園式を間近に控え、ノノはどのように卒園証書を受け取るのか気になった。入園のときは、ノノママが終始ノノの隣に座っていたが、卒園はどうするのか?ノノママが園に問い合わせたが、園で対応しますから、お父さんお母さんは、普通にいらしてくださいとのことだった。
 この園の卒園式は、1人1人の名前を読み上げて園長先生から証書を手渡す形になっていたので、ノノは当然先生に手を引かれて先生が受け取るんだろうと思っていたし、それより先にノノが卒園式の間中椅子に座っていることなどありえなかったので、あまり恥ずかしいことしてくれないように願っていた。
 卒園証書授与が始まると、前の列から三人ほどが整然と檀の上に上がり、名前を呼ばれると園長先生の前に行って証書を受け取る、そして順次檀の上に上がる形式だった。ノノは、長い時間座っていられないからきょろきょろしたり声を出したりしたが、その都度ノノの両隣のお友達が手を握ったり制止したりしてくれていた。脇に先生などいなかった。これは、どうゆうことかと思ってみていたら、両隣のお友達がノノの手を取って立ち上がり、ノノを壇上に連れて行った。スムーズにだ。そして、ノノの前の子が証書をもらってもその場を立ち去らず、ノノの番になると次の子と一緒に手をつないで証書を一緒に受け取ってくれた。そして前の子と一緒に手をつないで檀を降り、何事も無かったかのように自分の席に戻った。
 何が起こったのか理解できないくらい衝撃的だった。ノノが、先生も親も介添え無しに何かを成し遂げた姿を始めて見た。この子達と先生に感謝の気持ちでいっぱいになった。この子達と一緒に小学校に行けてほんとに良かったと思った。
 涙が止まらなかった。傍らでノノママが目を覆っていた。「ちゃんとビデオとったぁ!」と私を小突きながら。

 つづく
こめんと ( 13 ) | とらっくばっく ( 0 )


自閉症の考察 その1
[ 自閉症 ] / 2005/03/06 15:26:39

自閉症は誤解の多い障害だといろんなところで耳にする。では、ほんとに理解している人は、どれくらいいるのだろうか?養護の先生でも自閉症について誤解をしているとしか思えない人もいる。だからといって今すぐにみんなが正しい知識を持つ術は無いのだろう。せめて、自閉症の子供を持つ親だけは、その障害を誤解無く認識する必要があると思う。しかし、まだまだ解らないことが多いのが現状だろう。
 これから書く内容は、私が独自に調べた情報を基にしているため、必ずしも学術的に正しくないかもしれないし、全ての自閉症に当てはまるものでもないことをお断りしておく。
宇宙人だと表現する人もいるほど自閉症の子供の行動は想定しにくいのかもしれない。それは、対蹠的に考えればバラバラなのかもしれないが、その原因から彼らの世界を考えればある程度想像できなくも無い。
 自閉症は、言語に関する脳の障害だ。いや、正確ではない。言葉で上手く表す単語を私は知らない。
 そもそもここで言っている言語の定義が難しい。言語とは、日本語とか英語とかも表わすのでこの場合、言語とゆう言葉は適切ではない。しかしほかの単語が見当たらないので便宜上”言語”で話をするしかない。
今私が問題にしている言語とは、文法や単語ではなく、倫理的思考を行う道具の言語だ。これは人間の特徴とされ、ほかの動物には無いとされている。例えば、物事を考えている時、言語で考えているときがある。特に論理的思考だが、こうして、ああして、それでどうして...等とゆう考えなどだ。これは、われわれの認識や思想の中で言語が利用されていることを表わしている。自閉症は、この言語の能力に問題がある障害だ。人によって内容や度合いが違うので一概には言えないが、ここでは便宜上仮に言語を全く理解出来ないA君を考えてみよう。
A君は全く言語を理解できない。これは、どのようなことか想像できるだろうか?目が見えない障害のある人がどんな状態かは目隠しをすれば、想像の発端を得ることが出来る。耳が聞こえない、等の障害も耳をふさげば、想像することが出来る。では、言語を理解でき無いのは、どうか?残念ながら、既に言語を理解している者は、それを正しく想像するのは難しいだろう。なぜなら、その想像こそが言語能力を使って考えているからだ。
しかし全く想像不可能だと話が進まないので、それとは違うが、似た状況を想像してみよう。
 例えばあなたが、ある日突然言葉が全く通じない部族の中に一人で置き去りにされたとしよう。あなたは、怖くて逃げ出そうとする。すると後ろから「○※▼□☆」と大声で声をかけられたとする。その場合、怖かったら無視して逃げるのではないだろうか?しかし、彼らの「○※▼□☆」は「止まりなさい」という意味だ、彼らは、止まれと言っているのに止まらないあなたにてこずるだろう。
 そのあと、そこでしばらく暮らすとしたら、どうやってコミュニケーションをとるだろう?身振り手振りで説明したり、絵を描いたりするかもしれない。絵を描けばある程度伝えられることがある。それは、物の名前(名詞)や動作を表わす動詞の一部などだ。このことは、自閉症の子が耳からよりも絵から理解しやすいことを想像できる。そして、そうした物や事を表わす言葉は、比較的音を暗記することで憶えることが出来るだろう。では、名詞や動作を伴わないものは、どうやって伝えるのだろう?例えば、「ダメ」とか「危ない」とか。ダメなんか、×を描くかもしれないが、×にダメの意味があることは、言語を通して取得した知識だ。その部族の人は×は良い印と思っているかもしれない。危ないなんてどうやって絵にすればいいのだろう?どんな身振りをするのだろう?これらの言葉は、「○○〜はダメ」とか「○○が危ない」とか具体的なことがセットになって初めて意味を成すもので、その中から「ダメ」とか「危ない」とかゆうのは、言語によって抽象化認識されている部分で、A君はそんなものは全く理解できない。ただ後ろから大声で何かを叫ばれているだけだ。言葉を理解できる者は、段々その部族の言葉を理解しコミュニケーションできるようになるだろう。しかし、A君はいつまでも理解することが出来ないのだ。
そう考えると「止まれと言ってるのに行く」「静かにしていろと言っても騒ぐ」など、A君には、全く解らないからなのだ。これは、言語を基にした抽象認識を必要としているからだ。目の見えない子に、信号が青のとき渡るんだ!と言ってるようなものだ。
 では、実際の自閉症の子は、これに当てはまるかと言うとそうでもない。前途したように言語の理解力が全く無いのではなくて、それぞれ違うし、得意不得意もあるからだ。言語を理解できない結果起こす行動自体は、個々の性格によって起こされもので、一概ではない。また、言語を基にした抽象概念もヘレンケラーのようにあるきっかけで、理解できることもあるかもしれない。
 いづれにしても、「なぜ何度言っても解らないんだろう」と考えずに、言語が見えない子にどうしたら理解させられるのか、言語の目を閉じて考えてみる必要があるのではないだろうか?

 つづく
こめんと ( 7 ) | とらっくばっく ( 1 )


自閉症って暗い子?!
[ 自閉症 ] / 2005/02/26 15:45:17
自閉症をはじめて聞いたのは、ノノが3歳になる前だったと思う。この日がはじめて知った運命の日!って感じじゃなく、ノノママから行き付けの小児科の先生から「まだはっきり言えませんが自閉症かも知れませんって言われたの」と聞いただけで、「えーどこが自閉なの?こんなに活発なのに」なんて素っ頓狂なことを言ってた。私は、そのとき「自閉症」が何かまったく知らなかった。なにか性格の問題か何かだと思ってました。
 その後ノノママは、児童相談所やいろいろな施設等に行って相談していた。今思えば、あの頃私は、普通のサラリーマンをしていたし、ことの重大さに気がついていなかったし、ノノママに任せっきりだった。

やっぱり自閉症だって。って話になってやっと私は、自閉症について調べ始めた。文献やインターネットで調べていくうちに確かに多くの点でノノが当てはまったがなんとなく信じきれず、真実を理解できずにいた頃だった。
 ノノママは、「子供嫌い」と自称するタイプの人だったし、ノノは、まったく言うことを聞かずに暴れまわっていたので、ノノママが虐待とまでは行かないけど手を上げるシーンがたびたびあった。私も強くノノを制したりすることがあったので、心の病気になってしまったと思っていたこともあったかもしれない。

3歳くらいから自閉症の支援施設に週3回くらい通うようになった。週2回は、少人数指導でノノママの子供に対する接し方の勉強が主なような感じだったようだ。ノノママは、かなり苦労しただろうし無理もしたと思う。残りの週1日は集団での指導で、ノノパパが休みの日だったので出来るだけ毎週欠かさず行くようにした。
 そこで、初めて多くの自閉症児を見て、だんだん自閉症が何なのか自分で消化できるようになっていった。そのころは、自閉症の支援施設にお父さんの顔を見ることがほとんどなかった。みなお母さんが一生懸命自閉症のわが子と共に頑張っていた。私は、出来るだけノノとかかわってあげたかったし、何よりもお母さんだけで受け止める問題では無いと思っていたので、ほかのお父さんももっとかかわってあげるべきだといつも思っていた。
 
幼稚園は、年中から地元の幼稚園が入園させてくれたので、お世話になった。幼稚園になんか行けるんだろうか?とても心配だった。
 入園式の日、ノノはその場に座っていることなど出来ず、園中を走り回って騒いだ。世間の冷たい目線を一身に浴びて、自閉症児ノノのご近所デビューとなった。一緒についていたノノママの想いを推し量ると。。。

 つづく
こめんと ( 8 ) | とらっくばっく ( 1 )


ノノくんは自閉症児
[ 自閉症 ] / 2005/02/18 19:09:26

ノノくんは自閉症の男の子。小学校3年生。
自閉症って誤解の多い障害なのでなかなか周りには理解してもらえない。
ノノパパだってはじめは誤解いっぱいしてました。
ちょっと遅れてるだけ。いつか良くなる。なんてね。

でも、ほんとは先天的な脳の障害に基づくもので、一生のお付き合いなんだ。
それを信じるまでには、かなり時間が必要だった。
だって、あなたの子供は、一生直りませんなんて言われたら。。。

思えばママはどんなにショックだったろう?!
毎日毎日終わりが見えない暗黒のトンネルを歩くのはさぞ辛かっただろう
パパの想像を絶する努力と絶望と悲しみと....

ノノくんは今日もとっても元気に学校へ行きました。パパはそれだけで今は十分です。
こめんと ( 2 ) | とらっくばっく ( 0 )





 コメント
シングルマザー未遂 ( 三月うさぎ)
2005/03/20 7:26:07
うちは、一度主人と別居していた時期がありますから、子供の寝顔を見ては涙が出た そんなこともありました。

当時、主人はたまに帰ってきては悪態をついていく…状態でしたし、ですから、この時期は
「春の訪れは三寒四温、寒の戻る日もあるさ」と、自分に言い聞かせ、涙をのんだ日もありました。

「離婚には同意しない」と、踏みとどまって現在、なんとかつぎはぎながらも今は親子4人で暮らしています。

もしかしたら、離婚してあげた方が、夫にはよかったのかもしれませんが(発達障害びしばしの家事のできない妻を持つより…笑)
まあ、いざ離婚するときは、やるべきことをやりつくして後悔しなくなった日まで かな?
弱音、いいじゃないですか。 ( かうす)
2005/03/20 14:57:55
 ノノパパさんのブログを読んでたら、なんだか泣けてきてしまいました。
 弱音、どんどん吐いていいのですよ。ねっ!吐かずにはやってられません。
 本当に疲れきった日、ノノパパさんと同じように、「死んでしまったら、楽かな?」という思いがわいてしまいます。
 私が「強い母にならなきゃ!」と思ってた頃、「強い太い枝は、折れやすいよ。細くてもしなやかな枝は、折れにくいものよ」と言われた事があります。
 何がいいたいのか、わからなくなってしまったけど、ノノパパさんが、同じ様な気持ちのものが居る事で、励みになるならと思って。
 
かうすさん ( ノノパパ)
2005/03/20 17:57:32
 かうすさんコメントありがとうございます。
 私だけが辛いんじゃないって解ってるんですけどね。あまり、思いつめると取り返しの付かないことをしそうで怖くなるんです。
 先日はある方から、ブログを読んで自分より大変な人がいるから、自分はもっとがんばりますってメールを頂きました。だから、ブログにはいいことだけじゃなくて、本当の気持ちを書こうと思ったんです。
 子供の成長を喜ぶ影にどんな苦労や辛さがあるかも素直に吐き出して行きたいんです。
三月うさぎさん ( ノノパパ)
2005/03/20 18:06:05
(携帯から書いたらおかしくなってたんで書き直します)
三月うさぎさんコメントありがとうございます。
やはり子供を育てるのはパートナーの理解と協力がとても大切なことだと思います。
こんな風にブログに弱音を書くことを嫌悪される方もいらっしゃると思いますが私は自分で読み返して弱音を吐いている自分を嫌悪しました。
そしたら不思議と落ちた自分がバカみたいに感じて少し救われました。
個人ブログには公共性はあっても公益性は問われないと思ってますのでたまには弱音を吐くのもおすすめですσ(^^;)
みんな大変な人生をおくっているのですから。
シングルは結構こたえます。
もっと泣こう ( うさこ86)
2005/03/20 22:45:29
ノノパパさんの辛い気持ちが痛いほど伝わってきて、私まで泣けてきました。

私は今までブログに書く記事は、「なるべく幸せな気持ちになれるもの」を選んで書いていたような気がします。
だけど、それは私が自分で自分を励まし、奮起させる意味もあったと思うんです。

日記のような「幸せな時間」を、毎日毎日過ごしているわけじゃありません。
障碍を受け入れ、前向きに生きているつもりでも、やっぱり不安になったり、悲しい出来事もある。
先日は「辛い気持ち」を日記にして、「辛さを吐き出すっていうのも、必要なんだなぁ」って思いました。

辛い時、悲しい時には泣いたっていい。
自分の気持ちを素直に出す事のほうが、大事な気がします。
このしんどさが永遠に続くと思うと絶望感を感じてしまいますが、いつまでも同じ状態というのはありえない。
現実に、3年前のノノ君と今のノノ君では全然違いますよね!もちろん愛しく、可愛い息子さんである事は永遠に変わらないけれど。

ノノパパさん、ブログの上でしかお話してませんが、もっとどんどん泣いて下さい。
夫が鬱になった時、号泣した姿を見ました。
それで、より彼の人間らしさに触れた気がしました。
男の人だからって強くなけりゃいけない事はありません。
私も一緒に泣きますから。
いい婆さんの10年もののタオル持参で…(^ー^)




うさこ86さん ( ノノパパ)
2005/03/21 0:27:57
うさこ86さんありがとうございます。
taku君のおめでたい時に落とすようなこと書いてすみません。
あのflash見てたら、ノノの卒園の時を思い出して、涙があふれてきて。卒園の時ノノママと嬉し涙を浮かべて、周りのみんなも惜しみなく拍手してくれてとっても幸せな瞬間でした。思い出してとっても幸せな気分に浸っていたんです。
でも、夜中シンとした中でカチャカチャ一人で茶碗洗ってたら、もう一緒に嬉し涙を流してくれる人もいない孤独感が押しよせて来てどうしようも無くなってしまいました。
涙腺が緩みっぱなしだったんですね。
もう、前向きにちゃんと切り替わりましたよ。
本当にありがとう。一人じゃないですね。
Unknown
( ぽち)
2005/03/21 14:32:39
ふとしたときにありますよ〜。
凹むとき&涙腺ゆるくなるとき、放棄したくなるとき。

でもね、大事な『子供』がいるからね・・・
でも、さみしいって思うことあるんだよね。

そういう時は思いっきり泣いて・・・次の日から
また頑張ります。

そんな生活がもう4年半になります。
これからもきっと続くんだろうな・・・。

辛い、悲しい思いをしてるからこそ、シアワセの瞬間の
ありがたみもわかる・・・そんな気がします。

辛いときは荷物を降ろして、一息つくのも大アリですよ
私も結構ぼやいてますしね(笑)   
ぽちさん ( ノノパパ)
2005/03/21 15:32:54
ぽちさんコメントありがとうございます。
みなさん頑張っているのにね、弱語と言ってる場合じゃないですね。

母は強しと言いますが、男って結構弱かったりするんですよね<私だけか

いやきっと私も花粉症で涙が出るんだ!
泣かせないで〜 ( のら)
2005/03/22 23:06:17
ノノパパさん こんばんは!
もう、泣かせないでくださいよ〜
同じような気持ちになっちゃう人がここにもいるんだって
切ないんだけど、ちょっとほっとしたりして…
ごめんなさいね。母だって弱いです。
だけど泣きながらでも、1ミリずつでも前へと進んでいきたいです。
のらさん ( ノノパパ)
2005/03/22 23:56:33
のらさんコメントありがとうございます。
のらさんのがんばっている姿いつも読ませてもらっています。
1人が辛い時もあるけど、お互いがんばって行きましょうね!
激しく、共感! ( らぢおばちゃん。)
2005/04/07 10:27:11
ノノパパさん、はじめまして。
3日ほど前から読ませてもらってます。

読めば読むほど、共感する部分が多くて、
泣けてきちゃいます。

10年前の自分と重ね合わせてしまったり。
その当時は子供のことはもちろんですが、
本当のことを言うと・・・。
私にとっては子供のことなどそれほど大変じゃなかったんです。むしろ大変だったのは、
ダンナの存在!そのものズバリ!
その当時忙しかったんでしょう・・次々と
無理難題私に押し付け、そのほとんど私が解決してきました(会社の仕事手伝い、金銭問題。。)女性問題以外のコトいろいろ・・。語りつくせません^^;

このことは、今まで一切誰にも話していません。
話せませんでした。

そんな頑なな心を開いて下さって・・・
ノノパパさん☆ほんとうにありがとう

Unknown
( ふーぱぱ)
2005/04/07 12:18:09
ノノパパさん、こんにちわ。

ノノ君パソコンが使えるんですね。
どの程度使いこなしていますか?インターネット、メール、文書ソフト、表計算ソフトなど使っていますか?

実は、我が家の「ふー」にもパソコンを触らせようかと考えているところですが、半年くらい前に勝手に触って壊されてしまいました。

ノノパパさんは、なぜノノ君にパソコンを触らせたんですか?できれば注意していることなどあれば教えてください。
らぢおばちゃん。さん ( ノノパパ)
2005/04/07 14:00:47
らぢおばちゃん。さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。
このブログは、ありのままを書こうと思っています。
かっこつけたって、所詮はどろどろした生活もしているのですから。
書くことで、自分の気持ちの整理ができたり、共感して頂ける方がいたり。
ありがとうございました。これからよろしくお願いします。
ふーぱぱさん ( ノノパパ)
2005/04/07 14:06:04
ふーぱぱさんこんにちは。

ノノは、自閉症の中でも低機能なので、言葉の理解が殆んど出来ません。もちろん文書も理解できません。
ですから、パソコンで遊ぶのは、CDやDVDを鑑賞したり、お気に入りに設定しておいたホームページを見ることくらいです。
私がパソコン関係の仕事をしているので、見ているうちに基本的な操作は覚えたようです。
壊されても、沢山あるし、直す仕事もしてるのでなんともありません。ちょっと特殊な環境ですね
お名前
タイトル
URL
MAILアドレス  ※MAILアドレスは、blogオーナーにのみ公開されます。
コメント
規約に同意の上 コメント投稿を行ってください。
※左のひらがな5文字を
 入力してください。

  この記事のTrackback Ping-URL
http://blog.e-bbs.jp/nonopa/tb/aa309.tb




※順不同で〜す
ご希望の方、削除の方ご連絡下さい
 

▼・w・▼ あしあと ▽・w・▽
パパはアスペルガー!
SEパパの育児日記
自閉症スペクトラム白書
私の1番星
ふたば&り-日記
バツイチおやじの生き方
Ψ2525.comΨ

ブログの作成・編集 ブログの作成・編集