自閉症の男の子を抱えるシングルファーザーの奮闘記。学校とのやり取りや家族の話、息子の様子などをつづる。
リンクフリーです。
「ぼくうみ」を映画に!
アクセスの多い記事
要悔悟
逃避法
ノノパパの野望
見透かされる
涙の散髪
自閉症って暗い子?!
自閉症の考察 その1
自閉症とお付き合い
幼稚園時代
よわね
仕事が先か家庭が先か?
母子家庭と父子家庭
朝の戦争
カレンダー
2005年3月
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
前月
翌月
過去の記事
2005年10月
2005年09月
2005年08月
2005年06月
2005年05月
2005年04月
2005年03月
2005年02月
カテゴリー
ノノくん
ノノパパ
自閉症
ジジとババ
ノノママ
ノノ兄
最新の投稿
ノノパパは月へ?!
朝の戦争
Y先生ありがとう
ノノジジの怪
ラジオ体操
ブログお引越しと再開のおしらせ
ピアノ
ひさん、ってなに?
相撲大会
見透かされる
最新のコメント
webmaster/
ひさん、ってなに?
最新のトラックバック
ボイストレーニング方法
(おふざけボイストレーニング方法)
幼稚園時代
(ノノパパのシングルファーザー迷走記)
「自閉症だったわたしへ」
(ねむたくなぁい?)
ちょっとだけ遊べました。
(SEパパの育児日記)
さて、4月になりました。
(メンタルママの記録帳)
親近光速
(もののはじめblog)
『闘い』→『対処』→『お付き合い』
(パパはアスペルガー!)
トラバより。自律すると言うことについて。
(自閉症スペクトラム白書)
【おすすめ】要悔悟
(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)
「うつ病になったらどうしよう!」症候群
(パパはアスペルガー!)
プロフィール
e-bbs ID
nonopa
性別 :
男性
自己紹介
ノノは一人では生きて行けない。ノノと一緒に生きてくれる未来のあなたへパパの想いを残したい。
《お知らせ》
ノノパパは、2006年再婚しました。応援頂いた沢山の方々に深く感謝致します。
《追伸》
2007年4月男の子が生まれました。
連絡メール
♪
免責事項
・このブログに書かれていることは、私の主観に基づくもので、学術的、法的などの裏づけがあるものとは限りません。また責任を負う物でもありません。
・差別的、人権的に不適切と解釈出来る表現があったとしても、当方にそのような意図は、全くありませんので、そのような解釈をしないで下さい。
・私の判断で不適切と思われるコメントは、予告無く削除させて頂きます。
全文Index
なんか書いてみようかなぁ
ノノくんは自閉症児
天国のノノババ
ママが来ない日曜日
ノノの通学
死と向き合って
書初めで金賞
ノノくん行方不明になる!?
雪上教室
自閉症って暗い子?!
おそうじができる?
仕事が先か家庭が先か?
朝の災い
恋愛は、あきらめなさい
おちこんだとき
ページの模様替え
クッキー焼きました!
自閉症の考察 その1
母子家庭と父子家庭
学校での様子〜引き算
ノノパパのお仕事
再婚しても追い出すよ!
ノノの音楽教室?
ドレミのミスギ♪
誘拐・殺害!?
感謝
よわね
幼稚園時代
祝!先生転任せず!
結婚の断片と死んだ友人
自閉症とお付き合い
ノノパパの野望
要悔悟
今日から新学期
はじめまして
我が家に子供が生まれた日
ノノジジの家事
気球にのってどこまでも
逃避法
最後の言葉は誰に?
ノノ兄の幼少期
涙の散髪
病気かストライキか?
見透かされる
相撲大会
ひさん、ってなに?
ピアノ
ブログお引越しと再開のおしらせ
ラジオ体操
ノノジジの怪
Y先生ありがとう
朝の戦争
ノノパパは月へ?!
自閉症とお付き合い
[
自閉症
] /
2005/03/30 21:30:41
自閉症
と言われた時、闘いが始まった。自閉症との闘いだった。どうしたら直るんだ?どうしたら良くなるんだ?どう接すればいいんだ?どんな事をどんな風に教えれば良いんだ?
いや、そもそも時間が経てば良くなるに違いない。ちょっと他の子と違うけど、いづれは良くなるに違いない。と思って闘っていた。自閉症と。
しかし幼稚園に入る頃、闘いは終った。自閉症との闘いは完敗だった。私の中で何かが終って何かが始まった。
幼稚園に
入ってから、自閉症の対処の日々が始まった。この子にどお対処すればいい?先生にどう対処すればいい?他の子や親御さんにどう対処すればいい?先生は、この子にどう対処してくれる?他の子供たちはどう対処している?
自閉症に振り回される。いつも新しい心の対処を作り出す。精一杯の対処。対処の生みの苦しみ。自閉症への対処は、私の中の常識をことごとく塗り替えた。あたらしい価値観が生まれた。
小学校に
入ってから、自閉症とのお付き合いが始まった。自閉症に対する心の動揺は無くなった。自閉症と上手くお付き合いすることを考えた。心が穏やかになった。自閉症も悪くないと思う瞬間もあった。
そして、将来の生活への不安が大きくなってきた。この子は将来生活して行けるのか?この子をどう生かせばいいのか?何が必要なのか?何をしてやれるのか?
自閉症とお付き合いしながら日々考えている。私の中に1つの野望が生まれた。
つづく
こめんと (
6
)
|
とらっくばっく (
1
)
結婚の断片と死んだ友人
[
ノノパパ
] /
2005/03/28 20:43:04
ノノママは長く入院したあとそのまま離婚、別居となってしまったため未だに家の中はママがいた頃とあまり変らない。変ったのは寝室のタンスや服が減ったことくらいだ。ノノママの荷物もまだかなり残っている。片付けなくちゃと思うのだがなかなか時間がとれずいつまでも片付かない。
それでも少しは片付けようと思い立ち、置き去りにされている荷物たちの整理をはじめた。探していると出てこなかったものがこんな時に出てくるものだ、思い出の詰まった結婚していた証しの断片がいろいろ出てくる。雑誌と雑誌の間に見覚えのある小冊子を見つけた。結婚式のパンフだ。といっても40ページ以上ある製本されたものだ。
わたしとノノママは2回結婚式を行った。私たちが結婚を正式に決めた4月にノノママの古い友達に報告しにいった時のこと。その友人は、「結婚式が10月では遅すぎる!ノノパパが気が付いて結婚破毀されてしまうぞ!」と冗談とも本気とも取れることを言い出した。かくしてその友人が中心となって会費制の披露パーティを5月にひらく事になった。その頃ノノママはボーカルのサークルをしていたし私はバンドなどしていたので、かなり大掛かりなパーティになった。そのパーティーで配った小冊子だった。
この小冊子は、私の会社の同僚であり友人であるJ氏が中心となって作ってくれたもので、漫画やエッセイ寄せ書き等多彩な内容のものだ。J氏は、とても絵が上手く、漫画、デザイン、油絵などそのジャンルを問わず非常に描くことの才能があった人物だ。
私と彼は、職場が同じでSEをしていた。彼は、私より1つ年上だったが、入社が私のほうが早かったため、私のチームの一員として一緒に仕事をしていた。私が結婚した次の年の年明け1月12日の夕方、私のチームが担当しているメインコンピュータの1台が突然機能停止した。原因を調べたが直ぐにはわからず、結局外部記憶装置の制御回路が正常に動作しないことを突き止めた頃には、午前2時を回っていた。直ぐに部品を手配して、バイク便が基板を抱えて到着したのが午前4時少し前だった。部品を交換し、ファームを確認し起動したのは、午前5時前だ。やっとのことでシステムが再稼動し、手持ち無沙汰にしていた深夜の従業員が働きだした頃、私とJ氏はやっと帰路に着くことが出来た。会社の外は、もううっすら明るくなって来ていた。会社の駐車場でお互いを労って家路に着いた。「お疲れ様」 彼と言葉を交わしたのは私が最後で、彼を見たのは、それが最後となった。家に帰って直ぐに布団に入ったが9時過ぎ頃だろうか会社からの電話で起こされた。「またシステムダウンか?!」嫌な予感が頭をよぎった。部長からだった「J氏が今朝亡くなりました。」唐突に告げられた言葉に頭が即座に反応できなかった。「はぁ?亡くなったって言いますと、、、え?何ですか?」「J氏が亡くなられました。」もう一度告げられてやっと意味が耳に届いた。直ぐに交通事故が思い浮かんだ。「事故ですか?」「いや。ご自宅で心筋梗塞で亡くなられました。」
彼は、まだ30前だ。心筋梗塞でなんて。頭が真っ白になった。
彼は、後日労災認定された。私は彼より多く残業していたので、規制が掛かった。もちろん一時的にだったが。
その彼が創ってくれた結婚式のパンフレット。彼が描いてくれた私とノノママの馴れ初めのエピソードマンガが彼の実質上の遺作となってしまった。
私は、小冊子を手に取りパラパラめくって、いなくなってしまった妻と友人に想いをはせた。
↓
おまけです。スクロールしてご覧下さい。
J氏の遺作となった作品の部分をPDFで記載しました。
※この作品は、ノノママとノノパパの馴れ初めのエピソードをマンガにしたものです。離婚した元妻との馴れ初めの事を掲載するなんて考えられないとお怒りの方、見ない方がいいです。
ノノママとノノパパの顔を見たい方は、どうぞ!(笑)
尚、作品中の名前の部分は、都合上ノノパパ、ノノママに書き換えています。また、この作品は東北弁で書かれていますので、わからない方はご容赦下さい。
(ご覧になるには
AcrobatReader5.0以上
が必要です)
[作品を見る]
(作品中に出てくるノノママの友人、Hiroeさんの歌声が聞きたい方は、
)
こめんと (
23
)
|
とらっくばっく (
1
)
祝!先生転任せず!
[
ノノくん
] /
2005/03/25 14:47:34
先日
新聞で教職員の転任の発表を確認した。ノノの先生の名前は無かった。ほっと胸をなでおろした。
先生は、ノノが1年生の時から担任して頂いているので、今年は変るのではないかとハラハラしていた。
先生が変れば、また1から先生との信頼関係を築きなおさなければならないと思うと、かなり大変なことだ。ちょっと心の準備をしていただけに、嬉しい安堵感だ。
春休み
に入る前に先生は、今年ノノが学習した軌跡を沢山くれた。字を練習した練習帳や絵など、そして数々の写真だ。
先生は、毎月あったことを写真にして教室に張っておいてくれていた。だから教室の壁を見るとどんな経験をしてきたか人目でわかる。そして最後に、一枚「おもいで」とゆう1年にあったことをまとめたものを張ってくれていたようだ。
私にとっては、あっとゆう間の1年だったが、ノノにとっては、いろいろな経験がいっぱい出来た1年だったのだろう。
先生ご苦労様。そして来年度もよろしくお願いします。
こめんと (
12
)
|
とらっくばっく (
0
)
幼稚園時代
[
自閉症
] /
2005/03/21 13:50:39
幼稚園
に入園させてもらってから暫くの間、ノノママは、ノノと一緒に幼稚園に通った。1つは、自分のことが全く出来ないことと、もう一つは、みんなと同じ場所に留まることが出来ないことの二つが集団生活をする上で大きな障害となるものだったからだ。
その頃のノノは、食事も数種類のものしか口にせず、食器やスプーンなどにも強いこだわりがあった。だから園での食事はご飯のみか、ふりかけをちょっとかけたものを口に運んでやらなければ全く食べなかった。実際昼食は、食べない日が多かったくらいだ。そして排便の問題。結局ノノは、幼稚園の間中オムツを使っていた。トイレトレーニングは懸命にノノママも先生もやったが、彼はガンとしてトイレでは用をたさずにオムツにしかしなかった。実は小4になる今でも排便の問題は解決していない。
もう一つが多動だ。まず同じところに留まらない。園児が集まって、園長先生の話を聞いていても、ノノはステージに上がって、園長先生の後ろで踊りのパフォーマンスを見せた。また、みんなが一斉に歌ったり、大きな音がすると耳をふさいでその場から逃げ去った。入園したばかりの頃は、園の外まで逃げて問題となったこともあった。
はじめの年の運動会では、先生やノノママに手を引っ張られて泣きながらひきづられるように走る姿に絶望感すら感じた。
そんな状態が
半年ほど続いただろうか。ノノママは、園に通わなくなった。通う必要がなくなったのだ。何が変ったのか?ノノは、相変わらず集団行動していなかったが、園の敷地から出ることが無くなった。彼は、自由気ままに園内を飛び回っていたが、どうやら自分のクラスを認識しクラスメイトも意識しているようだった。クラスの子達が何か別のことを始めると、必ずクラスに戻ってきて何をしているか観察して見切るとまた園内放浪に出る。といった感じだ。しかし次第に先生と手をつないで一緒に居られる時間が長くなってきた。排便に関してもオムツをしていたが、用をたすと自主的に職員室に知らせることが出来ようになったのだ。
ノノママが通わなくなって彼は、段々その集団の中に居られるようになってきた。何よりも他の園児がノノがそこにいて当たり前で、ノノがなんかしでかそうとするとちゃんと先生に知らせてくれた。
年長の年の運動会では、先生に手を引かれているが、自主的に一緒に走っているノノ姿を見ることが出来た。
この頃になると、周りの園児たちとの係わり合いがとても自然になってきているのを感じた。はじめは、つまはじきにされているような感じだったが、お友達がノノの存在を認め、話しかけたり手を引いたりしている姿が多くみられた。もちろん話しかけても答えたり出来ないのだが。
そんな姿を見て
小学校もこの子達と一緒に居られたらどんなにいいだろう!と思い始めた。しかし、この学区の小学校は1学年1クラスしかない小さな学校で、特殊学級は無かった。実際、同学区の1つ年上の自閉症の子は、別の小学校の特殊学級に通っていた。
しかし、ノノママは、奮起した。校長先生や教育委員会やありとあらゆる所にノノパパの首根っこをつかんで嘆願に行った。「この子を地元で育てたいんです。地元の子供たちとの関わりを断ち切りたくないんです。」いろいろ陳情に行ったがどこでも色よい返事は貰えなかった。私は、わらをも掴む気持ちで、県議会議員や市議会議員などに陳情に足を運んだ。意外にも、地元選出の県議会議員は、「わかりました。絶対と言えませんがなんとかしましょう」などと言ってくれた。私は公約は破るためにあるからなぁなどど思ってそう気にも留めなかったのだが、やるべきことは、やったとゆう感じではあった。
地元の小学校への入学の知らせが届いた時、私とノノママは、狂喜乱舞した。本当に嬉しかった。
こうして地元の小さな小学校にノノ一人の教室が出来上がった。
その奇跡は
卒園式のときに起きた。卒園式を間近に控え、ノノはどのように卒園証書を受け取るのか気になった。入園のときは、ノノママが終始ノノの隣に座っていたが、卒園はどうするのか?ノノママが園に問い合わせたが、園で対応しますから、お父さんお母さんは、普通にいらしてくださいとのことだった。
この園の卒園式は、1人1人の名前を読み上げて園長先生から証書を手渡す形になっていたので、ノノは当然先生に手を引かれて先生が受け取るんだろうと思っていたし、それより先にノノが卒園式の間中椅子に座っていることなどありえなかったので、あまり恥ずかしいことしてくれないように願っていた。
卒園証書授与が始まると、前の列から三人ほどが整然と檀の上に上がり、名前を呼ばれると園長先生の前に行って証書を受け取る、そして順次檀の上に上がる形式だった。ノノは、長い時間座っていられないからきょろきょろしたり声を出したりしたが、その都度ノノの両隣のお友達が手を握ったり制止したりしてくれていた。脇に先生などいなかった。これは、どうゆうことかと思ってみていたら、両隣のお友達がノノの手を取って立ち上がり、ノノを壇上に連れて行った。スムーズにだ。
そして、ノノの前の子が証書をもらってもその場を立ち去らず、ノノの番になると次の子と一緒に手をつないで証書を一緒に受け取ってくれた。そして前の子と一緒に手をつないで檀を降り、何事も無かったかのように自分の席に戻った。
何が起こったのか理解できないくらい衝撃的だった。ノノが、先生も親も介添え無しに何かを成し遂げた姿を始めて見た。この子達と先生に感謝の気持ちでいっぱいになった。この子達と一緒に小学校に行けてほんとに良かったと思った。
涙が止まらなかった。傍らでノノママが目を覆っていた。「ちゃんとビデオとったぁ!」と私を小突きながら。
つづく
こめんと (
13
)
|
とらっくばっく (
0
)
よわね
[
ノノパパ
] /
2005/03/20 3:19:26
夜10時を過ぎた頃無理やり仕事を切り上げる。毎日そうだ。急いで会社を出るとスーパーに急ぐ。遅くまでスーパーが開いててくれるのはありがたい。しかし遅くに行くと野菜が無い時が多い。今夜はもやしが売り切れている。キャベツも小さいのが残ってるだけだ。急いで買い物を済ませて家に向かう。
急いで家に入る。冷蔵庫に買ってきたものをしまいながらノノに声をかける「ノノ!ねんねんしよ!」ノノは、パソコンをシャットダウンして駆けてくる。今夜はノノジジがちゃんとパジャマを着せておいてくれた。急いでベッドに滑り込んで、ノノを寝かしつける。布団の中でパパにチュウしたりして少しふざけて、それでもすぐにノノは寝てしまった。起こさないようにそっとベッドを出る。リビングに降りてテレビをつけて、ソファーにちょっと座り込んでしまった。
携帯のメール着信音が鳴って目を覚ます。どうやらうたた寝してしまったらしい。風邪を引くところだった。東北の春はまだ遠い。ストーブも消したところだった。私を風邪から救ってくれた恩人のメールを見る。私のブログにコメントを書いてくれると携帯にメールで知らせてくれる様になっている。時計を見ると1時半を過ぎている。こんなに遅くまで起きてるんだね。コメントありがとう。おかげで風邪をひかずに済んだ。
起き出して、食器を洗う。手ががさがさだ。ノノババが生きていた頃ノノジジが「お前の手はがさがさだな」なんてノノババに言ってたのを思い出す。確かに母の手はこんな感じにがさがさだった。
こんな夜は、急に涙がこぼれたりする。泣いてなんかいないのにスーと涙がこぼれ落ちる。孤独な戦いは辛い。パートナーの理解はとても大切なことだ。一人の終わらない戦いは辛いから。ちょっとだけ死んでみようかなんて考える。星をつかむのと同じくらい出来ない相談だ。
あの頃は つらかったね なんて笑っていられるのは
やっぱり今が幸せなんだね
もう何も 信じない なんて思った日々のことも
やっぱり今は笑い話だね
(〜思い出とゆうやさしい時間に流れていく〜より)
ノノママが14年前に書いた唄の一節だ。そんな日が永遠に来ない歌になってしまったようだ。
ノノがいるんだから。一人じゃない。弱音を吐いたって、ノノはちゃんと6時には起きて元気に飛び回る。それがパパをもう1日生き延びさせてくれる力だ。さあもう寝よう。ノノがもうすぐ起こしてくれるから。
こめんと (
14
)
|
とらっくばっく (
0
)
感謝
[
ノノパパ
] /
2005/03/18 0:54:55
今日18日でブログをはじめてから一ヶ月となりました。
ネット上に沢山の個人サイトがあることは、知っていましたが、その内容をよくよく見たのは初めてのような気がします。
たった一ヶ月で多くの皆さんからいろいろなコメントを頂けて、多くの方と出会えてとても楽しい時間でした。
お言葉を頂いた皆様、本当にありがとうございました。
こめんと (
7
)
|
とらっくばっく (
0
)
誘拐・殺害!?
[
ノノママ
] /
2005/03/16 16:49:05
夕方、
携帯が鳴った。Mちゃんからだ。
ノノパパ 「どうも」
Mちゃん 「ノノパパ?あのさ、カレー作ったから帰りによってって」
ノノパパ 「いつも悪いなぁ。帰りに寄ります。」
Mちゃんは、ノノママの幼馴染の同級生だ。私とノノママが付き合ってるときから、一緒に遊んだりしていた。ノノママと別れた後も時々夕飯のおかずを作ってくれる。
私は、夕方6時くらいにノノに食事させるために一旦会社を出る。その帰りにMちゃんの家に寄った。
Mちゃんは、
10年ほど前、結婚したときに新築した家に住んでいる。家は新興住宅街にあり、小さいながら庭もある。花を育てるのが好きで玄関の前には、いつも花が咲いている。
そんな家の玄関口でインターホンを押す。
「だ〜れ〜?」小2のK君がインターホン越しに返事をする。
「あ、ノノパパ。」
(ママ〜ノノパパ来たよ〜。玄関あけてちょ〜だい)家の中で声がする。
ドアが開く。「よう!Kくん!」
「ガガガガガ〜ぁ!」なにか手におもちゃを持って私に襲い掛かってくる。「おー!」思わず驚く!
(こらKちゃんだめでしょ!)奥からMちゃんの声がする。
(わるい、ちょっと上がって待ってて!Kちゃんノノパパをお部屋に案内して!)
「ん?じゃこっちだよ!」K君は手に持ったおもちゃを飛ばすように両手をひろげて廊下を奥に駆けていく。
「おじゃましま〜す」上がってリビングへ
「ちょっと待ってて!」リビングからつながるキッチンでエプロン姿のMちゃんが、おひたしを切ってラップに包んでくれている。小柄できれいな奥さんだ。
Mちゃんの旦那さんは、土木建築関係の仕事をしていて、各地の現場に長期出張していることが多い。殆んど母子家庭状態だ。
私は、座って、テレビの脇のサイドボードの上にある小さな水槽を眺めた。金魚が3,4匹泳いでいる。
私は、
熱帯魚を趣味で飼っていた。結婚前は、結構まめに水槽の世話をしてきれいな水槽をいくつか持っていたが、段々手をかける時間が無くなり、今では、グッピーがいる水槽1つになってしまった。その唯一残った水槽も手入れする時間がとれず、ここ数年は水槽面にはコケが生え水草も伸び放題の状態だ。でも、とりあえず水質管理はしているので、グッピーが繁殖してごちゃごちゃ泳いでいる状態だ。
そんなこともあって、いつもきれいになっているMちゃんの水槽を眺めていたのだ。
Mちゃん 「おまたせ!、これカレーでこっちほうれん草。」
ノノパパ 「いつもありがとうね。Mちゃんも忙しいのに悪いねぇ」
Mちゃん 「んいいのよ。あ、水槽どうかした?」私が水槽を見つめていたのに気づいたのだろう
ノノパパ 「いや、べつに。いつもきれいにしてるなぁって思って。」そう言うと急にMちゃんの表情が曇った。
Mちゃん 「あのねぇ。あの、まえから言わなくっちゃって思ってたんだけど。ごめんなさい。」
ノノパパ 「へ?どしたの?」
Mちゃん 「あのね、ノノパパの熱帯魚、全部死んじゃったの。」
ノノパパ 「へ?え?えぇ〜?何?それぇ〜?」
Mちゃん 「あのね、、、、」
Mちゃんの話は、こうだ。もう1年ちょっと前のことらしいのだが、ノノママが、グッピーいらない?と言ったらしい。彼女の話からの想像だが、おそらく外れてないだろう。
ノノママ 「うちにごちゃごちゃ沢山いるのよ、めだかみたいなやつさ。気持ち悪いから少しもらってくんない?」
Mちゃん 「でも、グッピーって熱帯魚でしょ?」
ノノママ 「大丈夫大丈夫。うちの水槽なんかコケが生えてて汚いんだから。あれ飼うのが難しいなんて言ってるけど、旦那が飼えるんだから金魚と一緒よ!今度持ってくるから。」
っとまぁこんな感じだろう。数日後ノノママは、十数匹くらいのグッピーをビニール袋に入れて持ってきたらしい。そしてそれを金魚の水槽に放した。その日の夜には全部死んだそうだ。たまたま帰っていたMちゃんの旦那さんがみて、「これ、ろ過器がいるんじゃないの?」といってエアーポンプをつなぐ金魚用の小さなろ過器を買ってきたらしい。事の次第をノノママに話すと、「わかった、きっと少なかったから寂しくて死んだのよ!今度もっといっぱいもって行くわ!」
数日後、今度は、数十匹持ってきて水槽に放した。もちろん朝までには、全て死んだそうだ。
ノノパパ 「あのね。熱帯魚は、冷たい水では生きられないのよね。」
Mちゃん 「ごめんなさい。」
ノノパパ 「あ、Mちゃんが悪いんじゃないから気にしないで」
Mちゃん 「...」
ノノパパ 「ほんと、全然気にしなくていいから」
私は、ありがたくおかずをもらって帰路についた。
ちょっと
かわいそうだった。グッピーは、繁殖力が強く環境さえ良ければ直ぐに増える。そもそも1つの水槽で繁殖し放題にして置くのは、グッピーの飼い方としては既に失格なのだ。このグッピー誘拐殺害事件の責任は、ノノママにあることは明白だし、Mちゃんは被害者に近い。
後日私は、ノノママにそのことを聞いた。
ノノパパ 「Mちゃんに聞いたよ。熱帯魚のこと。持ってったんだって!」
ノノママ 「ああ、そんなこともあったっけ。」
ノノパパ 「ちょっと、それはないんじゃないの?」
ノノママ 「なに言ってのよ!、もってかれても気づかないあんたが悪いんでしょ!」
ごもっとも か・も? ん? ま、いいか。
こめんと (
10
)
|
とらっくばっく (
0
)
ドレミのミスギ♪
[
ノノくん
] /
2005/03/14 11:53:25
ある日
ノノは、突然黒板いっぱいに何かを書き始めたそうだ。先生は、書いている内容をメモした。@つなぐ Aまねる Bのびる Cあるく Dうごく Eささやく Fきく Gはずむ Hたたく Iうたう Jきえる Kゆれる Lあがる Mおいかける Nまわる Oつくる Pかさねる Qこねる Rやぶる Sひろがる
先生は、ノノが何を書いているのか解らずに居たが、もしかしてと思いつき職員室のNHK教育番組の資料を調べた。
そしらた、ドレミのテレビの1年分の放送タイトルとぴったり一致したことにびっくりして、連絡帳に書いてくれた。
昨年、
私は、最近ドレミのテレビを目にしないような気がしてネットでNHKのホームページを調べた。ドレミのテレビは、全20回あり放送完了していること、再放送がされていることを知った。
ノノは、NHK教育を見ていることが多い。ある日私は、ものすごいアレンジ(ジャズアレンジ)になっている童謡がテレビから流れていることに気づいた。UAがへんてこな格好をして童謡を歌っていた。これが私が始めてドレミのテレビを意識したきっかけだった。その後も、特に時間を調べて見た訳ではないが、放送されていると興味深く見ていた。私は、趣味で編曲などしていたのでとても興味があったし、なによりも童謡を型破りにアレンジして教育番組にしていることにとても驚いたし感心した。
ドレミのテレビのホームページは番組中の曲の殆んどを視聴できるようなページになっていてこれもかなり太っ腹な提供ぶりだった。私は、このホームページも気に入ってノノのブックマークにも入れておいた。
リビング置いているパソコンは、ノノが自由に使えるようにしている。ノノのユーザーアイコン(WINXP)だけパスワードを設定してないので自分のアイコンを押して遊べるようにしている。このノノのユーザーブックマークに何気にドレミのテレビを入れておいたのだ。
ノノは、
いつの間にかドレミのテレビのホームページが大のお気に入りになってた。暇さえあれば、歌を流して一緒に歌ったり踊ったり、ううあやともともの口真似もしていた。
これが、学校でも歌ったり踊ったり、口真似をしたりするようになっていたので、先生がピンと来たのだそうだ。最近では、少し飽きたらしくそう頻繁に見ることは無くなったが、全てのタイトルを順番どおりに覚えていたことは、正直ちょっとびっくりした。
(冒頭で’まる数字’を使用しておりますが、一部のパソコンで表示できない場合があります。ご了承下さい。)
こめんと (
12
)
|
とらっくばっく (
0
)
ノノの音楽教室?
[
ノノくん
] /
2005/03/12 20:01:54
ノノは
歌が大好きだ、1日の大半は、音楽を聴いている。はじめは、テレビの幼児番組を録画したテープを繰り返し見ていたが、最近では、CDを聴いているときも多くなった。
CDはノノ専用の小さなCDプレーヤーで聴く。2、3年位前の誕生日にプレゼントしたものだ。ノノの誕生日プレゼントには、いろいろなおもちゃとか本とか買ってみたが、ことごとくかじって壊してしまい、ろくに遊んだりしなかった。CDプレーヤーだって遊んでくれないだろうなって思ったらこれがお気に入りになった。CDは、某隔週発売の会社の日本の歌とかゆうのをずっと買ってあげた。
最近では、ノノパパがCDの発売日を忘れているのに、その日になるとパパの荷物をチェックしに来る。無いと「ざんねん。」といってさびしそうにする。隔週なのにちゃんと覚えてるもんだと感心する。
本題から
ちょっとそれてしまったが、ノノは、歌って踊るのが得意だ。歌は、耳コピーなので外国人が歌ってるような発音だが、2番も3番も間違えずにキチンと歌える。学校でも職員室に行って突然歌い始めるのだそうだ。先生方から拍手をもらえると満足そうに戻ってくるそうだ。(ほんとにいい学校でよかった)
ノノの踊りは、テレビでやっているものは、適当にまねして踊っているが、最近CDの曲でも踊ってる。創作ダンス?とまでは言えないが、なんか適当に合っている。
ノノが歩き始めた頃、ノノパパは、音楽に合わせて体でリズムを取ったり、物を叩いたりして一緒に体を動かした。体でリズムをキチンと取れるようになれば、大きくなってから楽器などを練習するときにとても楽だからだ。その甲斐あってか、ノノのリズムは、とても正確だ。何か物を叩いても正確に叩くことが出来る。
ノノが4歳くらいのときあまりにちゃんとリズムが取れるのでおもちゃのキーボード(鍵盤)を買ってやったことがる。きっと気に入ってくれると思った。しかしノノは、全く興味を示さなかった。ノノパパがメロディーを弾くと、弾くなと言わんばかりに取り上げるあり様だ。これにはちょと拍子抜けしてしまった。その日からキーボードは、カジルおもちゃと化してしまった。
その後
も何度と無くピアノを弾いてあげたりしたが、やっぱり弾き始めると耳をふさいだり、ピアノの蓋を閉めようとしたりする。(危ないだろ〜)
もう一つ気が付いたことがある。ノノは、一人では歌うが一緒に歌わないのだ。一緒に歌おうとすると自分はリズムを取ってはいるが歌を止めてしまう。歌うのを止めるとノノが歌い出す。
ところが、先日、ノノが歌っていた曲にハモって歌ったらノノは歌うのを止めなかった。そのときは、あまり気にしなかったがこの前legnoDiarioの書き込みを見てピンと来た。
そうか!彼は、旋律をとりたくないのか。ノノパパは、さっそくやってみた。ピアノで旋律を全く弾かないで伴奏だけ弾いて、歌い出しだけ歌って後は、伴奏だけ引き続けた。
なんと、その後をノノが歌ってるではないか!
やった!これだ!と思ったのもつかの間、間奏に入ったところで彼は行ってしまった。ノノパパは、むなしく最後まで歌った。
でも
今までに無い手ごたえだった。これは伴奏を教えればピアノを弾くようになるかも!?
その後、和音を教えるべくチャレンジしているが、今のところ上手く行ってはいない。でも、出来ないのが悔しいようなそぶりを見せるので、これは、根気良くやれば何とかなるかも!
淡い期待をもってノノパパは、ノノの音楽教育に夢を抱くのだった。
あきらめないぞ!
こめんと (
12
)
|
とらっくばっく (
0
)
再婚しても追い出すよ!
[
ノノママ
] /
2005/03/11 12:09:10
先日、
ノノが幼児期にお世話になった支援団体の先生の家にパソコンの調子を見に行った。プリンタが急に出なくなったらしい。仕事がらこの手のレスキューは多い。プリンタは直ぐに出るようになった。パソコンの調子が悪くなると、いろんなことをやってみて更におかしくしてしまう人が多い。今回もそのパターンだった。作業が終ってお茶でもどうぞと言われ知らない人でもないしちょっとご馳走になった。
「どう?」
先生は、心配そうに問いかけた。
(ノノパパ)「何とかやってます」
(先生) 「ノノくんの様子は変わりない?」
(ノノパパ)「相変わらす元気です」
(先生) 「ん。ならいいんだけど」
そんな感じでしばらく近況の話をしていた。
ところで
先生が唐突に
(先生) 「ノノパパは再婚する気はないの?」
(ノノパパ)「気は、無くはないんですけどノノもいますしね...。」
(先生) 「あら、ノノくんは大丈夫よ。あんなにかわいいし、手も掛からないしとってもいい子だもの。私が手塩にかけて育てたようなもんなんだからね!」
先生は、ノノが3歳くらいから担当してくれていて、ノノママと一緒に幼児期のノノを指導して頂いた。
(先生) 「私の妹なんかどう?まだ結婚してないのよ」
(ノノパパ)「はあ。(^^;」
(先生) 「まだ若いんだから、他にも何人か知り合いにね....」
(ノノパパ)「でも、ノノママが時々来ますからね」
(先生) 「え?!でも、再婚したら来なくなるでしょ!?」
(ノノパパ)「でも、この前あった時にですね....」
先生とノノママは、同じ歳で何でも相談していた。だから先生は、ノノママのことはよく知っている。
私は、先生にノノママとのやり取りを説明した。
先週の
ことだったか、ノノママが来たときのことだ。
(ノノママ) 「あたし、何年かしたら、帰ってくるからね!」 冗談でもなさそうに言った
(ノノパパ) 「え?」
(ノノママ) 「ノノがいるんだから。」
(ノノパパ) 「だって今の同居人の方は、どうなるの?」
(ノノママ) 「いつまでも一緒に居ないわよ。きっと。」
(ノノパパ) 「え?いやそれは、口を出すことじゃないけどね。」
(ノノママ) 「だからね、今はダメだけどそのうち帰るわ。」
(ノノパパ) 「おれが再婚してたりしたらどうすんの?」
(ノノママ) 「ムリムリ!ノノがいるんだもん。きてくれる人いないよ!」
(ノノパパ) 「それでも来てくれる人がいたらどおすんの?」
(ノノママ) 「いいよ!別に再婚したって!
追い出すから!
」
先生は、
その話を黙って聞き終えると、しばらく沈黙したあと。
(先生) 「無理だわ!」
(ノノパパ)「え?」
(先生) 「やりかねない!」
(ノノパパ)「え゛?」
(先生) 「
あきらめなさい!!
」 でたー!聞き覚えのあるその言葉!!
(先生) 「あのキャラに対抗できるひと、私は知らないわ。」
(ノノパパ)「...」
(先生) 「好きで一緒になってしまったんだから、あきらめなさい。」
やっぱり、結論は一緒だ。
でも、私は知っている。ノノママは戻ってくることなんかないことを...
こめんと (
6
)
|
とらっくばっく (
1
)
<前のページへ
次のページへ>
コメント
知ってほしい。
(
うさこ86
)
2005/04/04 18:28:00
私は、『自閉症』という言葉は聞いた事がありましたが、その中身については全く知識が無く、自分の息子が診断を受けて初めて『発達障碍』というものの存在を知りました。
生まれてから幼稚園年少の2学期までは、本当に辛かった。
それは、『何故こんなに育てにくいのか?』『どう接したらいいのか?』わからなかったからです。
ノノパパさんの文章中にあるとおり、連れて歩くのが嫌でした。
買い物をしている時間より探し回る時間の方がはるかに長い。
店頭のお菓子やおもちゃのパッケージを勝手に開けてしまう。
通路にひっくり返って大声で泣き喚く。
そして、親が疲れ果てて寝床に倒れ込むほどの毎日を過ごしていても、本人は昼寝もしなければ夜も眠らない…。
地獄でした。
今、ニュースで毎日のように、子供に対する虐待・育児放棄・殺害などが報道されるたびに、『過去の自分にとっては、人ごとではない…。』と胸が痛み、もし『発達障碍』の事を母親・父親・周囲の人々が認知・理解していたなら、このような悲劇を招く事もなかったのではないか…と思うようになりました。
子供と接する時間が一番長い母親にとって、『発達障碍を持つ子供』を育てる事は、想像以上に大変な事です。それが、周囲の無知により親子共に責められれば尚更です。
もし周囲に理解し、サポートしてくれる人の存在が無ければ、かなりの確立で『子供を心から愛せない母親』になってしまうのではないでしょうか。
発達障碍だけでなく、肢体不自由・目・耳・言葉の障碍・その他内臓疾患による障碍。
どの子の親も大変な毎日の中で、少しでも子供の笑顔に触れたり、わずかな成長を喜べる事が、明日への生きる力になっているのが現実です。
『喜び』『可愛さ』よりも『悲しみ』『辛さ』の天秤が大きく傾いた時、愛しいはずの我が子が『憎らしい』とすら思えてしまう。
どんな理由があろうとも、命を殺める事は許されませんが、追い詰められた母1人を責められる問題ではないような気がします。
子供の命と将来を考える時、『母と子』だけの問題ではなく、家族そして社会全体がこの問題を取り上げて、誤解無きように広く認知してもら事。そして、広く支援を受けられる事。
そうすれば、子供と1対1で悩む親を救い、尊い子供の命を救い、子供自身が社会の中で隅に追いやられる事なく、胸を張って生きていける世の中になるのではないかと思っています。
健常者にも得意・不得意があるように、障碍者にも得意・不得意がある。
一般の人にも障碍の内容を理解してもらえるなら、その人その人に応じた適切な仕事に就く事も出来るでしょう。
障碍を持つ人にとって、一時的な支援ではなく、生涯にわたって安心して生きていける世の中にしたい。
様々な障碍について、広く知ってほしい。
その為に一体何ができるんだろう?
無力ながら、日々考えています。
長くなってしまって、すみませんでした。
自閉の割合
(
かうす
)
2005/04/04 18:39:32
こんにちは。ノノパパさん!
今は、自閉スペクトラムの割合は、約100人に1人だそうです
こんなに高い確率なら、近所に何人も居てもおかしくないですよね。
実際、今度新1年生になる学区の子供で、私の知ってる限りで、4人は居ますもの(普通級で!)
あと、「自閉」と診断されても、高機能やアスペの子だと、言葉が出てるので、両親ともに信じなくて、受診もやめてしまったり、学校にも言わなかったり・・・。
いろんな親御さんが居て(健常児の親でもいろいろ居るとは思うけど)、療育園の時に、『本当にこの子には居なくなって欲しい!!』と言って、パニックになってる子供を皆の前で、叩きまくってたり・・・。
話は変わって・・・。
うちの子と同い年の自閉っ子が、近辺でとても多いのです。
自閉っ子のママ達と、「同年の自閉の子って、多いよね〜。自閉の当たり年かな〜
」と話してました。
どうせ当たるなら、『宝くじ』が良かったんですけど・・・
うさこ86さん
(
ノノパパ
)
2005/04/04 20:16:27
うさこ86さんありがとうございます。
私がこんなことを書いたのは、障碍のある子を育てる事実を少しでも知ってほしいと思ったからです。
うさこ86さんが書き添えてくれて、ほんとうにありがたいです。また同時に辛いことを書かせてしまってごめんなさい。
社会や制度を一朝一夕に変えることはできません。かといって何もしないではいられない。だからこうした情報発信も社会や周囲の人に理解してもらうためにほんの少しでも役立てればいいと思います。
ほんとにありがとう。
かうすさん
(
ノノパパ。
)
2005/04/04 20:20:55
かうすさんコメントありがとうございます。
私の周りでもなんか年々多くなるような気がしてなりません。それは、判定基準などにもよるのでしょうけれども、潜在的な発達障碍は、意外に多いのかもしれません。
もっと社会的認知度があがって、悲劇が少しでも減ればいいと思います。
宝くじ当たったら、作業所作っちゃうんだけどなぁ
非自閉圏でも…
(
わがままひめ
)
2005/04/05 1:50:31
うちの子はふたりとも、いわゆる『育てにくい子』で、下の子は、児童相談所に電話相談したら、「幼稚園に入園して、ほかの大人がかかわっても今のままなら、児童心理士がキチンとみますから連れていらっしゃい」と言われました。4月3日の私のブログにもチラッと書きましたが、上の子の小さいときの成育暦は、自閉圏のお子さんの成育歴とよく似ています。
だから、よく子どもを抱っこして屋上から飛び降り…とかのイメージが襲ってきて、つらかったです。そんなつもりないのに、そんなイメージがふっと頭に浮かんでいて、ボーっとそんなこと考えてる、というのが日常茶飯事でした。
手も上げました。隣のマンションの人に、虐待の通報をされそうになったこともあります。そのことを知って、自分から児童相談所に相談しました。
ほんの二・三週間前までは、子どもも受診しないとだめかもなぁ、と本気で悩んでいました。
いまは、『三つ組み』が揃っていないので、多分自閉圏ではないだろうと思っていますが、だからと言って、(小さい頃の)育てにくさが軽くなるわけではないです。(成長したら、違ってくると思いますが)
『三つ組み』が揃うかどうかって、小学校に入る様な年齢になければはっきりしないし、…
つまり何をいいたいかというと、育てにくい子を授かった“お母さん”は、本当に大変だと言うことを、わかって欲しいのです。
私のブログを読んでくださっている方は、『たいへん』をわかっていらっしゃる方ばかりですが、地域で普通に過ごしている限り、リアルな世界では、私の話を信じない人のほうが多いです。「赤ちゃんはミルク飲んで寝るもの」と思っている人のほうが、赤ちゃんを育てている人の中でさえ、多いのです。「なんて、大げさに話すおかあさん!神経質なお母さん」と言われてました。
むしろ、子育てしている人のほうが、自分の子と比べてしまうから、『育てにくい子』の存在を想像できないのかもしれません。
私でさえ、たいへんな疎外感の中で、子育てをしてきたのです。
だから、自閉圏にいるとはっきり小さいうちから診断されたお子さんを持つお母さんたちが、どんなにつらくたいへんか、想像すると、じぶんまでつらくなります。
そういうお母さんたちのことを考えたら、眠れなくなってしまって、書き込みしてしまいました。
まとまりない文章で、すみません。
わがままひめさん
(
ノノパパ
)
2005/04/05 11:51:59
わがままひめさんありがとうございます。
確かに自閉圏である無しに関わらず、子供の発達の仕方は多様だと思います。そもそもスペクトラムが示す様に本来は垣根の無いもので子供を育てる大変さは、実際は差異を伴っていると思います。
やはり、少しでも情報発信して理解者を増やすことが今すぐ我々に出来る初めの一歩だと思います。
お互いに、頑張りましょう。
トラックバックさせていただきました
(
わがままひめ
)
2005/04/05 12:35:11
昨夜はコメント欄にまとまりない文章を書き散らして、失礼しました。
あまり、コメント欄と変わらないかもしれませんが、もう少し、「ママ」側からの気持ちを書いてみました。
ノノパパさんのような方がひとりでも増えて、世のすべての子育て中のママさんたちが、もう少し楽に生きられるようになるといいな、との希望をこめて。
わがままひめさん
(
ノノパパ
)
2005/04/05 13:03:41
ありがとうございます。
わたしもわがままひめさんの全てがわかる訳ではありませんが、とてもお気持ちが伝わってきます。
ママの心安に子供の幸せも在ります。
これからも応援しております。
ノノパパさんが鏡のようです
(
ふーぱぱ
)
2005/04/06 6:17:00
初めまして、ふーぱぱ@小学3年自閉症男児の父親です。
カイパパさんのブログを見て、こちらのサイトにお邪魔しました。
自閉症児に対する扱いは本当に難しいものがありますネ。我が家でも自閉症児本人(ふー)が会話(コミュニケーション)が苦手という特性を理解していても、つい大声で怒鳴ってしまったり、叩いてしまったりしています。
後で冷静になってから自責の念にかられます。
しかし、ノノパパさんの記事を拝見していると共感する部分がたくさんあり、人ごとではいられません。記事の内容が会話のやり取りで記載されているため、ものすごくリアルに伝わってきます。
共感する部分というのは、ノノパパさんは奥様と別の暮らしを始めたようですが、我が家も女房が
近い将来に離婚を考えているようなニュアンスで話をするので、自分としては少々焦っています。
その背景には、自分が5年ほど前から病気(躁うつ病)になり、病気休暇をとったりしていました。そのため、女房は、自閉症本人(ふー)の他2人の子供の面倒に加え、自分の面倒まで加わり、彼女にものすごく負担をかけてしまい、半年くらい前から、うつ病で病院通いになってしまいました。
両親2人とも病んでいて、子供への配慮も不足がちとなっています。
ノノママさんはテンションが上がって朝早くから
メールがくるところを見ると、うつ病ではなく躁うつ病では無いでしょうか?
躁うつ病は、うつ病に比べ再発率が9割以上とかなり高くなっており、なかなか直りにくい病気です。治療薬も全然違ってきますので、一度主治医に確認される事をお勧めします。私も躁うつ病にもがき苦しんでいますが、最近はまあ何とかなるだろうと楽観視しています。
自閉症児への支援ですが、この4月1日から発達障害者支援法が施行され、発達障害者支援センターの設立に向け、各都道府県で作業を進めているところだと思います。
私も自分の体調を整え、そういった関係者と連携していきたいと考えています。
これからも、ノノパパさんの記事を楽しみにしています。
おはようございます。
(
みちこ
)
2005/04/06 8:06:53
どうして、私に「自閉症」の子を授けてくれたんだろうと、今でも悩む時があります。
悲しいかな、一度や二度は死を考えたことがありますし。
でも、子どもの笑顔に支えられているのが
最近になって分かりました。
格好いい美談のように生きてやろうかななんて、野望もあります。
苦しい中でも、明るく生きているって
素晴らしいです。
障害児のいる暮らしぶりを公開していくうちに
どんどん周りに協力者が募ってくるといいですね。
励みにもなりますし、一般の方の自閉症の誤解を少しでも無くして行けると思います。
一緒に頑張りましょう。
PCでしか協力し合えないのが辛いところですが、お互いに少しでも心の痛みを少なくしていけるといいですね。
ふーぱぱさん
(
ノノパパ
)
2005/04/06 11:19:08
ふーぱぱさんはじめまして。
コメントありがとうございます。
やはり子供に対する父親の態度については、多くの方が考え、悩んでいる部分だと思います。
母親に子育ての負担を任せっきりになりがちですが、父親は父親としての子育ての役割を真剣に考えなければならないといつも思っています。
自閉症児を持つお母さんの中にはうつ病になってしまっている方が沢山おられます。それだけ肉体的な負担に加えて精神的な負担も大きいのだと思います。理想的には夫婦で
力を合わせて負担を軽減できれば良いのですが。
ノノママも、躁うつ病けのうつ病との主治医の診断でした。私もそこのところは深くは判らないのですが、先生はいろいろな薬を症状に合わせて使い分けているようです。
ふーぱぱさんも大変でしょうが、奥様もきっと大変な思いをなされていると思います。やはり私のように1人で居るのはとても大変です。ご夫婦でふー君を見守り育てていければいいですね!
これからもよろしくお願いします。
みちこさん
(
ノノパパ
)
2005/04/06 12:11:43
みちこさんいらっしゃいませ!
今一番忙しい時期でしょ!頑張ってくださいね!
かげながら応援してますよ!
ネットに公開して仲間を増やすのは、とてもいいと思います。一人で抱え込むと辛いですからね!話を聞いてくれる仲間がいるって思っただけでも少しは気が楽になることもありますよね!他の仲間とメールでも連絡してますか?公開の場とメールなんかの仲間だけの情報交換をうまく使い分けるともっと深いコミュニケーションが取れると思います。奥さん私にもメールくださいね
がんばってね!
ぶはっ(笑)
(
みちこ
)
2005/04/06 13:05:23
メールは夫と共用ですがよろしいですか?
ちゅどーーーーん!!
まだまだ他の仲間と交流というわけには行きませんが
旧友は良き理解者になってくれてます。
療育園のママたちとは、まだまだそこまでは
到達してません。
難しいですね。
夫の友人たちとはやはり疎遠になってしまいました。
いくら私さえ良ければ今までどおりのお付き合いしましょうと言ってくれても、
友人同心の掲示板では私のスレにレスが付かないことが続いたので、もう無闇に交際しなくてもいいかなと
諦めかけてます。
声かけづらいのは分かりますが、
気を遣わせてしまうのも忍びないからです。
悲しい現実ですね。
私がもっと積極的に輪に入ればいいのでしょうか・・・。
まだ結論が出せません。
あ、暗い話になっちゃいましたね。ごめんなさい〜。
では、またお話させてくださいねー。
みちこさん
(
ノノパパ
)
2005/04/06 13:24:40
こんにちは。
旦那さんさえ良ければ!
って私じゃなくてもお仲間とディープなお話をするには、公開の場がふさわしくない時がありますからね。自分専用のフリーメールなどを取得するといいかもしれません。(ちなみにgooでも無料の高機能メールがあります。お世話になっていますので一応宣伝まで
)
ネットで全国にお仲間を募るのはいいと思いますよ.
ありがとうございます。
(
みちこ
)
2005/04/06 15:17:40
高機能メールですか〜。
どこまでも”高機能”という言葉に敏感に反応してしまいます。(笑)
情報提供ありがとうございます♪
よろず相談所(無料)
(
ふーぱぱ
)
2005/04/06 21:54:16
ノノパパさん、こんばんわ。
早速コメントを返してくれて有り難うございます。ノノパパさんの言うとおり、女房は自分にとって最高のパートナーと思っていますので、自分の体調の具合を見ながら、彼女の負担を出来るだけ少なくしてあげたいと思っています。
昨日からこのブログを見せてもらっているんですが、まだ全部の記事を読み終わっていないです。
しかし、まだ始めて間もないブログなのに、すごくコメントが多いのには驚きです。ノノパパさんが丁寧にコメントを返しているので、コメントした人にとっては、とても心地良いコミュニケーションの場なのかもしれませんネ。リピーターも増えるでしょうネ。
ところで、今日ある駅前広場に2人の学生さんらしき男女が座り込んで、店を開いていました。
その店の看板には「相談事を聞きます(無料)」と書いてありました。
「なぜそんなボランティアみたいな事をしているの?」と尋ねると、「今は誰かに話を聞いてもらいたいと思っている人が多いから、そんなコミュニケーションを取れないで悩んでいる人の話を聞いてあげるだけなら僕にも出来るから」と答えました。
たしかに、今の世の中パソコンが無いと仕事にならないけれど、私の職場でもパソコンのなかった昔と比べ会話が極端に減っています。
やっぱり、コミュニケーションを良くするには直接会話するのが一番だと感じました。
最後の別れ際に「頑張ってね」と私が言うと、「また、今度話しに来てください。週2回やっていますから」と言葉が返ってきました。今の若い者はと、よく愚痴る年配の人がいますが、今の若い者も、すばらしい発想と行動力を持って居るんだなと、感心して気分良く帰ってこれました。
ふーぱぱさん
(
ノノパパ
)
2005/04/06 22:24:07
ふーぱぱさんこんばんは。
コメントありがとうございます。
コメントを書いて頂ける方には、出来る限りお答えしたいと思っています。(私の力にも限りはありますが)
ふーぱぱさんのおっしゃる通り人と人とのコミュニケーションの基本は、直接会話することだと思います。家族でもそうだと思います。
老若男女問わずにやはり人の繋がりに気が付けば、きっと幸せにつなげるきっかけを得ることが出来ると思います。
そうした意味でも若い人もそれぞれの考えでしっかり立っている人が沢山居ると思います。
良いお話ありがとうございました。
しばらくです
(
jasmine papa
)
2005/04/08 15:14:23
先日はお世話になりました。
うちはノノパパさんの回想の時期をリアルタイムに過ごしているぐらいでしょうか。
このところ妻とは突っ込んだ話をすることが多く、もう最後かもというようなケンカをしては、少し優しく接し合えたり、不安定な毎日です。
恋愛感情からはしばらく遠ざかっている気がします…。
jasmine papaさん
(
ノノパパ
)
2005/04/08 16:03:32
お久しぶりです。ジャスミンちゃんは毎日拝見させてもらっていますが。
そうですね、ほんとにブログに書ける楽しいことばかりあればいいんですけど、実生活は、大変なことが多いですよね。でもジャスミンちゃんの笑顔で癒されますよね。
またお邪魔します。
お名前
タイトル
URL
MAILアドレス
※MAILアドレスは、blogオーナーにのみ公開されます。
コメント
Copyright USAKO86 /
sozai by 1KB
※
規約
に同意の上 コメント投稿を行ってください。
※左のひらがな5文字を
入力してください。
この記事のTrackback Ping-URL
http://blog.e-bbs.jp/nonopa/tb/aa315.tb
【おすすめ】要悔悟
(カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル)
■【おすすめ】要悔悟 できるだけ多くの方に読んでいただきたい記事―― ・ノノパパのシングルファーザー迷走記:要悔悟 http://blog.goo.ne.jp/nonopa/e/739c86d7d2749f145f07075114b84183 心の琴線に触れます。 特に父親は必読。 私は泣きそうになった
「うつ病になったらどうしよう!」症候群
(パパはアスペルガー!)
大きなお世話なのは、わかっている。 でも、気になって気になって仕様がない。 例えばカイパパさんのところ。パパが仕事と本の出版に奔走している。それは、みんなカイくんとカイママさんのため。第三者の私から見たら、カイパパさんすごすぎ。実行力・行動力・厚い人望.
自閉症ちゃんサイトリンク
※順不同で〜す
ご希望の方、削除の方ご連絡下さい
ケ・セラ・セラ♪〜なるようになる〜
妖精が見える子供
ジャスミンのかほり
BU−BA−GA
TAKAちゃんギャラリー
***発達障碍***笑って笑って自閉症
legno-Diario
It is happy every day
自閉症児とバツイチママ
手をつないで
お散歩に行こう
◆◇ 三月うさぎのお茶会 ◇◆
ぽちぽち ★ 自閉症児の親ばか日記★殿父blog ★
坊主三人
すったもんだのゆゆ日記
ピー君通信 上を向いて歩こう
ラグランジュポイント
カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル
自閉症の小説!?
立ち読み
進め!おさるの三兄弟〜障害なんてなん吹き飛ばせ!
こうめとぶーの毎日
ポレポレネットワーク
高機能自閉症児・カメ君の足跡
そらくんのてがみ。
kokutoukarinto
広汎性発達障害の子
enfant
ゆうた・こうた通信
我が家のドタバタな日常・・・
笑顔でいこう!
かなわぬ夢の後・・・そしてそれから
お世話になってますリンク
▼・w・▼ あしあと ▽・w・▽
パパはアスペルガー!
SEパパの育児日記
自閉症スペクトラム白書
私の1番星
ふたば&り-日記
バツイチおやじの生き方
Ψ2525.comΨ
e-bbs ブログ
ブログの作成・編集
URLをメールで送信する
(for PC & MOBILE)