自閉症の男の子を抱えるシングルファーザーの奮闘記。学校とのやり取りや家族の話、息子の様子などをつづる。
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相撲大会
[ ノノくん ] / 2005/05/23 13:03:10

 ノノの小学校には、土俵がある。そして、年に一回この時期に校内相撲大会が行われる。学年毎に(1学年40人以下の小さい学校だが)全員がトーナメント戦を行い横綱を競う。
 私は、この地区の出身では無いので、相撲大会の伝統については詳しくわからないのだが、ノノジジに聞いてみると、歴史はかなり古そうだ。子供達のお父さんの多くもこの土俵を踏んだらしい。
 子供達は、学年があがるに連れてこの相撲大会に力を入れていくようだ。年をおう毎に誰が横綱だ関脇だなどと会話が聞かれ、練習にも熱が入る。
 実際、試合を見ても、高学年の取組は見ごたえがあり、負けた子は、涙をこぼして悔しがるシーンも多くあった。
 私が小学生の時通った新興住宅地のマンモス小学校には、土俵も相撲大会も無かったので、いま一つ軽んじて考えていたが、この子供達の真剣さや、地区中の年配者が集って見守る緊迫した雰囲気の中にあって、この相撲大会の伝統を感じずにはいられない。
 ノノ兄は相撲大会の前日、夕食を出しに帰宅した私を早々に捕まえて何も言わずに手を引き玄関ホールにいざなった。なんだ?と思ったら既に彼は腰を下ろして戦闘態勢だ!「はっけよーい」声と共に突進!私はあえなくかべに叩きつけられる。「不意打ち、きたないぞ!」と言うと「はっけよーいって言ったじゃん」といってホールの中央に戻る。私も今度は負けない。6年生とはいってもまだ小学生。私の敵ではない。私も構えて。「はっけよーい」言い終わらないうちに突っ込んでくる。その力強さ。ぐいぐい押してくる。技を掛ければひとたまりも無いことは間違いないが、力で押してくるなら受けて立とう。甘く見ていたが、結構本気で押されてしまった。「するいぞ!パパは、靴下はいてるんだから。おまえは、はだしだろう!」「相撲は、はだしでするものですぅ」といってニヤッと笑う。「もう一回!」と私が言うと「もういいですぅ」と言ってさっさと行ってしまった。「勝ち逃げはずるいぞ!」と後ろから声を掛けると「勝負は1度きりですぅ」と。最初は手加減してやったのに。
 大会の日うす曇りで観戦日和だ。高学年の対戦は、後なのでまずはノノが先だ。
 ノノは、例年、友達の取組を座って見ている事が出来ず、ノノの番の少し前に担任の先生と会場に現れる。そして、先生と一緒に土俵に上がり、操り人形の様に先生と一緒に土俵の外に後ずさりして終了だ。そして、また教室に帰ってしまう。これがノノ流の相撲大会参加だった。
 今年はとゆうと、なんとみんなと一緒に会場に座っている。そう、今、担任の先生は2ヶ月の休暇を取っているため、代わりの先生がついている。例年のことを知らないからかそれとも方針か、ノノを他の生徒と一緒に座らせ、先生も隣についてる。んーん座っていられるのだろうか?案の定、暫くするとノノは落ち着きをなくし立とうとしたり、先生の手を引っ張って退場しようとする。先生は、全く動じない。ベテランの先生だ。
 そうこうしているうちにノノの取組の番だ。先生は、ノノの手をとって立ち上がらせると、土俵際で手を離した。ノノは初めて土俵に一人でたったのだ。
 立ったのはいいが、ノノはニコニコしているだけで一向に仕切り線まで進まない。やっぱりそこまでか。と諦めかけた時。子供達から声が掛かった「ノノ!前!前だよ!」その声はだんだん大きくなり西も東もみんなが「まえ!まえ!」と声を掛かる。ノノは、ニコニコしたまま仕切り線までゆっくりと歩いた。みんな拍手してくれている。「はっけよーい」行司役の子供が声を掛ける。ノノはニコニコしたままゆっくりと押し出される。「よくやった!」声が掛かる。「ノノ!」声が飛ぶ。
 最近涙腺がゆるい私は、このくらいのことで、人前で涙を見せないように努力している。だから、嬉しさを胸に秘めて見守っていた。ノノがちゃんとみんなのところに戻り、座ったのを見届けると。後ろから4学年のクラスの担任の先生が声を掛けてくれた。「ノノちゃん凄かったね!去年までは上がることも出来なかったのにねぇ!ほんとに凄い成長!お父さん褒めてやってくださいねぇ!」先生が興奮気味に早口でそう言ってくれた。さすがにうるうるしたが、「ありがとうございます」とお礼を言った。ふと私の側に座っていた4年生の女の子が「ノノちゃん偉かったね!」とニコニコして言ってくれた。幼稚園の時から一緒の子だ「ありがとうね!」さすがにこらえられずに、涙が出そうになった。
 ノノは、この地区のこの子達、先生方と一緒に居られて本当に幸せだと思った。

 さて、ノノ兄はとゆうと、結構接戦の末2回戦で敗退。体格の違いでかなわなかったようだ。かなり悔しそうにしていた。彼の小学校生活最後の相撲大会は終った。


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見透かされる
[ ノノパパ ] / 2005/05/17 20:16:41

 夕方6時を過ぎる頃私は家路を急ぐ。夕食を家族に食べさせるためだ。この時期は、まだ夕陽が西の山に沈まない。刺すように目に入る夕陽に向かって車で15分ほど走れば家に着く。
 家に着くなりノノの顔を見る。「ただいま」と言うとノノも「ただいま」と言う「おかえり」「おかえり」。これがいつもの挨拶だ。今日は、ノノも機嫌がよさそうだ。簡単なおかずをつくり買っておいたお惣菜と共に食卓を作る。ノノの食事を別に作り、ノノ兄とノノジジに食事を促す。
 ノノは、食事に介助が必要だ。一口食べては、スプーンをおく。一口飲んではスプーンをおく。一緒に根気よく食べさせる。これが我が家のいつもの夕食の風景だ。ノノママの具合が悪くなってら数年ずっとこんな風景だ。

 この穏やかな夕食の風景を維持するには、私にもちょっとした努力が必要だった。離婚を含めて、ノノママの病気、ノノの障碍、母の死。いろいろ辛いことが起こる生活の中でいつしか私は、感情を顔に出さない様にしてきたようだ。どんなに辛くても家族の前では笑っていたい。私が取り乱したら我が家に安住の場所は無くなってしまうと思ったからかもしれない。
 ノノママが包丁を振り回して「ノノを殺して私も死ぬ!」と叫んだ夜。ノノ兄は、その一部始終を物陰からこっそり見ていた。私は、辛くても悲しくても子供達の前では、決しておくびにも出さない様にしていた。

 いつもの様にノノに食事をさせようとした。ノノは、私の顔を見るなり、スーと立ち上がり、ミニカーをとり上げ窓辺で転がし始めた。調子が悪いのだろうか?「ノノ!おいで!」と呼んだが、来ようとしない。こんなことは、ここのところ無かったのに。「ノノ!おいで!!」もう一度強く言うとやっと戻ってきたが、いつもと違って目を合わせようとしない。かまわずスプーンを持たせて食べさせる。散漫だ。横をキョロキョロして私の目を見ない。やはりどこか調子が悪いのかもしれない。と思ったとき。急に私の目を覗き込むように見つめ私の頬を手で優しくなでた。「なかないの」ノノが小さな声で言う。
 何でだ?パパは、笑ってるじゃないか!いつもと同じようにニコニコしてるじゃないか!なんでそんなことを言うんだ!
 ノノは、私の頬にチューして「なかないの」ともう一度言った。こらえられなくなって、目から涙が1粒こぼれ落ちた。いつものように普通に笑顔でいた筈なのに。ノノ兄もノノジジも気づかなかったのに。ノノには、仮面の下が見えるのか?

 考えても自分ではどうしようもないことが世の中にはある。わかっていても考えてしまって、考えれば考えるほど、どうしようもなく辛くなる。

 「パパは、だいじょうぶだからたべよ!」と言うと「はーぁー」と言って、もう一度頬にチューしてくれた。

 この子には、言葉は通じないが、心が通じているんだ。

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病気かストライキか?
[ ノノくん ] / 2005/05/13 20:23:31

 連休前の最後の日、私は仕事が休みでノノを学校まで迎えに行った。いつものように担任の先生と一緒に元気に昇降口を出てきたノノ、車の後ろの席にさっさと乗り込んでしまった。先生に挨拶して帰ろうと思ったとき、先生がなにやら言いたげな顔をしている。
「あのー。ちょっとお時間いいですか?」迎えに行った時にこんなことを言われたのは初めてなので、何か重大なことでもあるんじゃないかと頭の中で電光石火に可能性を探った。「大丈夫です。何でしょうか?」と聞くと。「ここではなんですから、ちょっと会議室方へ。いいですか?」と。ますます怪しい。ここで話せない重大なことで緊急を要することは何だろう?さすがに身構えた。車に乗ってしまったノノをもう一度連れて、昇降口へ連れて行った。ノノも、一度車に乗ってから学校に戻るのは初めてのことで、「い〜や〜」を連発して逃げようとしたが、なだめすかして、何とか学校に戻った。
 学校の『会議室』と書いてある部屋に入る。我が校の会議室は、畳敷きの和室だ。ノノを何とか中に入れる。「直ぐ終るからね」と言うとノノは、さっさと中に入って畳の上に正座すると、「ありがとござました。おわります。」と言ってお辞儀をして立ち上がり私の手をとって「おわり」「おわり」といった。見通しが立たない初めてのことだから不安なのだろう。「ちょーっとまっててね!」と言って騙し騙し先生と話し始めた。話始めると自分が何かされるんじゃないと分ったらしく、部屋を駆け回って遊び始めた。
 先生は神妙な顔で「お時間を取らせてしまってすみません」そのあまりに神妙な顔を見て私は内心穏やかではなかった。
「実は、私の母の体調が悪く入院することになりまして、大変申し訳ないのですが、2ヶ月間介護休暇を取らせて頂く事になりました。」「はい。」「急で申し訳ないんですが、明日からお休みに入りますので、ノノ君は、代わりの先生にみてもらう事になります。大変申し訳ありません。」私は、ほっとして「はい。わかりました。」とあっけらかんと答えた。先生は、私の顔を覗き込むように「申し訳ありません。」と言った。
 後で思ったのだが、私が顔色一つ変えずあっさり返事をしたので先生はけげんそうな顔をしていたのかもしれない。私は、ノノママの自殺騒ぎの次の日だったので、”別に命に別状はないなぁ”と思ってほっとしたのだ。しかし、確かに命に別状は無くても、これはノノにとっては、大変なことであろうことは、容易に想像できた。されとてジタバタしてもどうなるものでもない。
 連休明けの初めの日に家庭訪問があった。私が訪問時間に合わせて家に戻るとノノママは、ちゃんと家に来て待機していた。ノノの担任の先生と、代わりに2ヶ月間みて下さる先生が二人揃って訪れた。優しそうな初老の先生だった。印象的にはベテランの方とゆう感じだ。ノノとも、初対面だったので、ノノを呼んだが、恥ずかしいのか部屋に入れないで、部屋の戸を何度も開け閉めしていた。初対面の人は始めは誰でもこんな感じだ。いろいろお話して、とりあえず、安心してお任せできそうな感じの先生だったで少し安心した。
 そして今週の月曜日、新しい先生との生活がスタートを切った。月曜、火曜といろんなことが出来ました。と連絡帳に書かれていた。水曜には、「ノノ君も大分なれました。」と書いてあった。ん?3日でノノが慣れるか?私はちょっと懐疑心を持った。今までの彼の行動から考えると3日で初めての他人に慣れるとは、とても考えられなかった。しかし、彼ももう4年生。成長したのかもしれないとその時は思った。
 木曜日の朝、ノノは、朝の身支度がダラダラとして調子が悪そうだった。熱は無かったのでそのまま学校に登校させた。登校して暫くして学校から電話が入った。「朝、3回も吐きました」吐いた?ノノは、ここ何年か吐いたことなど無かった。殆んど風邪もひかない子だ。小学校に入ってから、1年生の時に1日休ませただけで、それからは、ただの1日も休んでいない。それが、吐いた?「熱は無いようなんですけど。お迎えに来ていただけますか?」とのことだった。直ぐに学校まで迎えに行くと確かにノノは元気が無く顔色も悪かった。「最後まで頑張るつもりのようで、ランドセルを持とうとしないんです。」先生はノノのランドセルを手に持ってそう言った。「様子を見て、病院に連れて行った下さい」先生はそう付け足した。私は、ノノを家に連れ帰った。その日は私は休日だったので、ノノの様子を伺った。
 ノノは、疲れたように、ごろごろしていたが、食事もちゃんと食べた。熱は無かった。私は、ふと思った。これは、もしかしたら新しい環境になれずに無理をしたせいかもしれない。とりあえず、金曜日も休ませて様子を見ようと決めた。
 今朝、やっぱりノノは、元気が無かった。「今日は、学校お休み!」と言ったが返事が無かった。いつも学校に出かける時間ぴったりに私のところに来た。「今日はお休みしていいよ!」といったら「おやすみ。」と言ってちょっとにっこりした。
 学校に電話して先生に「今日も大事をとって休ませます。」と言ったら「病院に連れて行ってくださいね!」と念を押された。ん〜もしかしたら自閉症のことをあまり深く理解していない先生なのか?とちょっと思った。
 私は、ノノをノノジジに任せて会社に行った。「様子がおかしかったら直ぐに電話して!」と言って。
 夕方、食事の用意に家に戻った。ノノジジに「ノノはどうだった?」と聞くと「な〜に、元気元気!直ったは。」と言った。見ると確かにいつものように元気にノノは、はしゃぎまわっていた。
 これは、やっぱり風邪じゃなくて、ストレスか?と思った。それはそれで厄介なことだ。
 月曜日からどうしたものか。ちょっと頭が痛い。

こめんと ( 15 ) | とらっくばっく ( 0 )


涙の散髪
[ ノノくん ] / 2005/05/07 12:08:46

 ノノは、髪に触れられるのがとても嫌いだ!それは、今始まったことではなくて、小さいときからそうだった。散髪は、かなり大変だ。
 以前は、ノノママが行っていた美容室に頼んで切ってもらっていた。それはそれは壮絶だった。
 まず、美容室に入ろうとしない。それを無理やり抱えて中に入る。暴れて泣き叫ぶノノを大人3人掛りで押さえつけて、散髪する。私は、ノノを抱きかかえるように抑制し、髪の毛まみれになりながら切ってもらう。傍から見たら絶対に虐待か拷問だ。実際、ノノも私もヘトヘトになる。
 もちろん、こんなやり方は、不本意だ。しかし、他に方法が無いのだ。
 ノノは、いつも女の子と間違われるくらいまで、髪の毛を伸ばしていた。前髪は、目に入るようになると寝込みを襲って切る。ぐっすり寝ているはずのノノの髪にそっとはさみを近づけるといつも彼は飛び起きて泣いた。だから毎回ほんの少ししか切れない。それでも何とかごまかして切っていくが、やっぱり最後には、女の子のような髪型になってしまう。そうなると、かわいそうだがまた強制散髪に連れて行き、くりくり坊主になって帰ってくる。この繰り返しだ。
 ノノは、小学校に入っても、散髪だけは、どうしても逃げ回った。小さいときは、なんとか押さえつけて拘束できたが、さすがに小学校2,3年生になるともう私の力では、押さえつけて置くこともできなくなってきた。
 それでも小さい頃よりは、我慢できるようになって、美容室の椅子に座って、「10数えるまで。」ガマン「1、2、345678910」って3秒くらいだろうか。我慢できるようになった。それはそれで進歩だが、結局最後は、押さえつけられて、涙、涙の散髪となるのだ。
 少し前、ここ3、4回位だろうか?ノノママの同級生のNちゃんがやっている美容室にノノママが連れて行くようなった。
 Nちゃんは、ノノママの相談相手となってくれているようで、頻繁に遊びに行って話を聞いてもらったり、アドバイスを受けたりしているようだった。
 それまでは、腕力が必要だったため散髪は私の出番だったが、「切れたら切ってもらうから」と言ってノノママがNちゃんの美容室に連れて行った。帰って来たノノの髪はちゃんと切られていた。「大丈夫だったの?」と私は訝しげに聞くと「大変だったけど、何とかなったよ!」と。Nちゃんは、何度も何度も「すわって!」と声をかけて、ちょっと切り、「いや〜」と逃げ出すノノに「すわって!」と気長に声をかけて切ってくれたそうだ。「いや〜あいつ気が長いから〜よくやるよ〜」とノノママは人事のように言う。「で、結局押さえつけなかったの?」私が一番聞きたったのはそこなのだが。「殆んど押さえなったよ!私雑誌読んでただけだから・・」それが本当だったら全く驚きだ!。Nちゃんに感謝せねば。
 それからノノママが何回か散髪に連れて行ったが、そのたびに「前より座ってられたよ!」「かなり座ってたよ!、今度一回見てみぃ!」とにわかに信じられないような話をする。私は、次回は絶対見に行こうと決心した。
 先日私はついに目撃することとなった。その出来事を。 ノノは、Nちゃんの美容室にすんなり入っていった。「ちょっきん。髪の毛ちょっきん。します。」と言って。前は美容室の前に来ただけで泣き喚いていたのに。Nちゃんは、優しく「ここに座ってね〜。直ぐ終るからね〜ちょーっとね〜」と言ってノノを座らせた。そしてエプロンを付けた。私は、エプロンを付けた姿だけでもう涙が出てきてしまった。だって一度も。。そんなこと不可能だったのだから。
 「はい。10数えるまでね!」いやそうにはしているが、座ったまま何とか我慢している。「ほらね!」傍らでノノママが得意そうに私に言う。「もうすこしねぇ〜」Nちゃんは、ゆっくり優しく言葉をかけながら、手は、神業のように早くどんどん切り落としていく。
 「だめーぇ」ノノが立ちあがったとき「ハイ、終わりだよ!」Nちゃんが言った。ノノママは、「あんた泣いてんでしょー!」私を覗き込んでニヤニヤする。泣かずにいられない。涙でかすむ。ノノママが「泣いてんの!N!なんだ!お前までなくなよ〜!」と。見るとNちゃんも泣いていた。「だって、凄いよ!今日は最後まで座ってたんだよ!初めに来た時は全然座ってられなかったんだよ!凄いよ!ノノちゃん!えらいよ!」
 Nちゃんは、泣いて喜んでくれた。私も感動でいっぱいになった。
 ノノママは、「へへ!でしょ!」と自分が褒められているかのように私を小突いた。

こめんと ( 24 ) | とらっくばっく ( 3 )


ノノ兄の幼少期
[ ノノ兄 ] / 2005/05/01 20:05:47

 ノノ兄は初めての子だけあって、写真もビデオもノノの数倍ある。生まれたばかりの頃は、毎日写真を撮ったものだ。
ノノ兄は、吸引分娩で生まれたせいか頭の形がイビツで、後ろから見るとちょっと横を向いているんじゃないかと思うほどだった。でも、初めての子供で親バカにはなが咲きとても可愛がられた。
 生後、1,2週間は、母乳とミルクの混合だったが、その後はミルクのみとなった。ノノ兄は、秋に生まれたので、直ぐに東北の寒い冬が来て、夜中ミルクをつくりに寒い台所に行くのも辛く、いつしか私の仕事と化してしまっていた。

 ノノ兄は歩きはじめるのがとても早かったが、言葉がなかなか出なかった。3歳の誕生日を過ぎても殆んど話すことが出来ず、いよいよ障害でもあるんじゃないかと心配になった。しかし、3歳を過ぎた翌年明け頃から、急に話しはじめた。幼稚園に入園する頃になってやっと何とか会話が出来るようになったのだが、とても流暢な会話とは言えず、先生の言うことがわかるのかとても心配した。
 その後言葉数は徐々に増えてはいったが、ノノ兄の言葉は、テレビやビデオなどのセリフをつなぎ合わせたような変な言葉で、その場の雰囲気には何となく合っているのだが、「それどうゆう意味?」と聞くと「わかんない。」と答える場面が多かった。
 かくして、「意味のわからない言葉は、使わない!」と叱られる羽目になった。現在は、随分マシになったがその傾向は6年生になった今でも続いている。
 そんなこともあり、弟のノノには、お兄ちゃんよりきっと早く話が出来るようになる、なんて勝手な期待を抱いていたのだ。その期待は、のちに無残にも砕け散るのであるが。

 幼稚園に入園してからも、ノノ兄は、言葉の理解が他の子より劣っていた。よくしゃべるのではあるが、よく意味が分らないことが多々見られた。それでも、何とか他の子達と同じことができた。
 その頃には、ノノの障害がはっきりしてきて、ノノ兄は、ノノババに任せっきりになって、おばあちゃん子となっていく。夜寝る時もノノジジとノノババのところで寝るようになっていた。
 ノノママは、「ノノに手がかかるんだからしょうがないのよ!」「ノノ兄は、ばあちゃんにあげたの!」などと口にしていた。

 ノノに自閉症の判定が下り、ゆるぎない自閉症っ子となった後にノノママは、ノノ兄を療育センターの先生のところに連れて行き、判定をお願いした。「この子は、絶対ADHDよ!」と主張した。確かに、ノノ兄は、注意散漫なところはあったし、多動といえば確かにちょろちょろして言うことを聞かなかった。だからノノママは、判定をしてもらうと言い出したのだ。
 ノノも担当していただいている先生の所にノノ兄を連れて行った。「先生、今日は、ノノじゃなくてノノ兄の判定をお願いしていましたので、よろしくお願いします。」とノノママは自信たっぷりに先生に言った。私は、ノノも連れて行ったので、センター内を走り回るノノを追いかけるので精一杯だった。
 ノノママは、暫く先生と話して説明していたが、その間先生は、ノノの様子を気にかけながら聞いていたように私は感じた。「お母さん。心配しすぎです。ノノ兄君は、正常ですよ。」と先生は優しく言った。「え!?先生よく見てください。こんなに散漫だし目もあわせないし・・・」「お母さん、大丈夫です。」ノノママは、悔しそうな顔をしたように私には見えた。
 「ぜえったいこいつおかしいのに!」帰りの車の中でもノノママは、納得できない様子だった。
 しかし、先生のおっしゃったとおり、ノノ兄は、他人よりワンテンポ遅れることはあったが何とか他の子と同じことができるようになっていった。
 今では、「頼むから、少し黙っててくれない!!」と言われるほど、言葉数が多い子になった。

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 コメント
知ってほしい。 ( うさこ86)
2005/04/04 18:28:00
私は、『自閉症』という言葉は聞いた事がありましたが、その中身については全く知識が無く、自分の息子が診断を受けて初めて『発達障碍』というものの存在を知りました。
生まれてから幼稚園年少の2学期までは、本当に辛かった。
それは、『何故こんなに育てにくいのか?』『どう接したらいいのか?』わからなかったからです。

ノノパパさんの文章中にあるとおり、連れて歩くのが嫌でした。
買い物をしている時間より探し回る時間の方がはるかに長い。
店頭のお菓子やおもちゃのパッケージを勝手に開けてしまう。
通路にひっくり返って大声で泣き喚く。
そして、親が疲れ果てて寝床に倒れ込むほどの毎日を過ごしていても、本人は昼寝もしなければ夜も眠らない…。
地獄でした。

今、ニュースで毎日のように、子供に対する虐待・育児放棄・殺害などが報道されるたびに、『過去の自分にとっては、人ごとではない…。』と胸が痛み、もし『発達障碍』の事を母親・父親・周囲の人々が認知・理解していたなら、このような悲劇を招く事もなかったのではないか…と思うようになりました。

子供と接する時間が一番長い母親にとって、『発達障碍を持つ子供』を育てる事は、想像以上に大変な事です。それが、周囲の無知により親子共に責められれば尚更です。
もし周囲に理解し、サポートしてくれる人の存在が無ければ、かなりの確立で『子供を心から愛せない母親』になってしまうのではないでしょうか。

発達障碍だけでなく、肢体不自由・目・耳・言葉の障碍・その他内臓疾患による障碍。
どの子の親も大変な毎日の中で、少しでも子供の笑顔に触れたり、わずかな成長を喜べる事が、明日への生きる力になっているのが現実です。
『喜び』『可愛さ』よりも『悲しみ』『辛さ』の天秤が大きく傾いた時、愛しいはずの我が子が『憎らしい』とすら思えてしまう。
どんな理由があろうとも、命を殺める事は許されませんが、追い詰められた母1人を責められる問題ではないような気がします。

子供の命と将来を考える時、『母と子』だけの問題ではなく、家族そして社会全体がこの問題を取り上げて、誤解無きように広く認知してもら事。そして、広く支援を受けられる事。
そうすれば、子供と1対1で悩む親を救い、尊い子供の命を救い、子供自身が社会の中で隅に追いやられる事なく、胸を張って生きていける世の中になるのではないかと思っています。

健常者にも得意・不得意があるように、障碍者にも得意・不得意がある。
一般の人にも障碍の内容を理解してもらえるなら、その人その人に応じた適切な仕事に就く事も出来るでしょう。

障碍を持つ人にとって、一時的な支援ではなく、生涯にわたって安心して生きていける世の中にしたい。
様々な障碍について、広く知ってほしい。

その為に一体何ができるんだろう?
無力ながら、日々考えています。
長くなってしまって、すみませんでした。
自閉の割合 ( かうす)
2005/04/04 18:39:32
 こんにちは。ノノパパさん!
 今は、自閉スペクトラムの割合は、約100人に1人だそうです
 こんなに高い確率なら、近所に何人も居てもおかしくないですよね。
 実際、今度新1年生になる学区の子供で、私の知ってる限りで、4人は居ますもの(普通級で!)

 あと、「自閉」と診断されても、高機能やアスペの子だと、言葉が出てるので、両親ともに信じなくて、受診もやめてしまったり、学校にも言わなかったり・・・。
 いろんな親御さんが居て(健常児の親でもいろいろ居るとは思うけど)、療育園の時に、『本当にこの子には居なくなって欲しい!!』と言って、パニックになってる子供を皆の前で、叩きまくってたり・・・。
 話は変わって・・・。
 うちの子と同い年の自閉っ子が、近辺でとても多いのです。
 自閉っ子のママ達と、「同年の自閉の子って、多いよね〜。自閉の当たり年かな〜」と話してました。
 どうせ当たるなら、『宝くじ』が良かったんですけど・・・
うさこ86さん ( ノノパパ)
2005/04/04 20:16:27
うさこ86さんありがとうございます。

私がこんなことを書いたのは、障碍のある子を育てる事実を少しでも知ってほしいと思ったからです。
うさこ86さんが書き添えてくれて、ほんとうにありがたいです。また同時に辛いことを書かせてしまってごめんなさい。
社会や制度を一朝一夕に変えることはできません。かといって何もしないではいられない。だからこうした情報発信も社会や周囲の人に理解してもらうためにほんの少しでも役立てればいいと思います。
ほんとにありがとう。

かうすさん ( ノノパパ。)
2005/04/04 20:20:55
かうすさんコメントありがとうございます。
私の周りでもなんか年々多くなるような気がしてなりません。それは、判定基準などにもよるのでしょうけれども、潜在的な発達障碍は、意外に多いのかもしれません。
もっと社会的認知度があがって、悲劇が少しでも減ればいいと思います。
宝くじ当たったら、作業所作っちゃうんだけどなぁ
非自閉圏でも… ( わがままひめ)
2005/04/05 1:50:31
うちの子はふたりとも、いわゆる『育てにくい子』で、下の子は、児童相談所に電話相談したら、「幼稚園に入園して、ほかの大人がかかわっても今のままなら、児童心理士がキチンとみますから連れていらっしゃい」と言われました。4月3日の私のブログにもチラッと書きましたが、上の子の小さいときの成育暦は、自閉圏のお子さんの成育歴とよく似ています。
だから、よく子どもを抱っこして屋上から飛び降り…とかのイメージが襲ってきて、つらかったです。そんなつもりないのに、そんなイメージがふっと頭に浮かんでいて、ボーっとそんなこと考えてる、というのが日常茶飯事でした。
手も上げました。隣のマンションの人に、虐待の通報をされそうになったこともあります。そのことを知って、自分から児童相談所に相談しました。

ほんの二・三週間前までは、子どもも受診しないとだめかもなぁ、と本気で悩んでいました。
いまは、『三つ組み』が揃っていないので、多分自閉圏ではないだろうと思っていますが、だからと言って、(小さい頃の)育てにくさが軽くなるわけではないです。(成長したら、違ってくると思いますが)
『三つ組み』が揃うかどうかって、小学校に入る様な年齢になければはっきりしないし、…
つまり何をいいたいかというと、育てにくい子を授かった“お母さん”は、本当に大変だと言うことを、わかって欲しいのです。

私のブログを読んでくださっている方は、『たいへん』をわかっていらっしゃる方ばかりですが、地域で普通に過ごしている限り、リアルな世界では、私の話を信じない人のほうが多いです。「赤ちゃんはミルク飲んで寝るもの」と思っている人のほうが、赤ちゃんを育てている人の中でさえ、多いのです。「なんて、大げさに話すおかあさん!神経質なお母さん」と言われてました。
むしろ、子育てしている人のほうが、自分の子と比べてしまうから、『育てにくい子』の存在を想像できないのかもしれません。

私でさえ、たいへんな疎外感の中で、子育てをしてきたのです。
だから、自閉圏にいるとはっきり小さいうちから診断されたお子さんを持つお母さんたちが、どんなにつらくたいへんか、想像すると、じぶんまでつらくなります。
そういうお母さんたちのことを考えたら、眠れなくなってしまって、書き込みしてしまいました。
まとまりない文章で、すみません。
わがままひめさん ( ノノパパ)
2005/04/05 11:51:59
わがままひめさんありがとうございます。
確かに自閉圏である無しに関わらず、子供の発達の仕方は多様だと思います。そもそもスペクトラムが示す様に本来は垣根の無いもので子供を育てる大変さは、実際は差異を伴っていると思います。
やはり、少しでも情報発信して理解者を増やすことが今すぐ我々に出来る初めの一歩だと思います。
お互いに、頑張りましょう。
トラックバックさせていただきました ( わがままひめ)
2005/04/05 12:35:11
昨夜はコメント欄にまとまりない文章を書き散らして、失礼しました。
あまり、コメント欄と変わらないかもしれませんが、もう少し、「ママ」側からの気持ちを書いてみました。
ノノパパさんのような方がひとりでも増えて、世のすべての子育て中のママさんたちが、もう少し楽に生きられるようになるといいな、との希望をこめて。
わがままひめさん ( ノノパパ)
2005/04/05 13:03:41
ありがとうございます。
わたしもわがままひめさんの全てがわかる訳ではありませんが、とてもお気持ちが伝わってきます。
ママの心安に子供の幸せも在ります。
これからも応援しております。
ノノパパさんが鏡のようです ( ふーぱぱ)
2005/04/06 6:17:00
初めまして、ふーぱぱ@小学3年自閉症男児の父親です。
カイパパさんのブログを見て、こちらのサイトにお邪魔しました。

自閉症児に対する扱いは本当に難しいものがありますネ。我が家でも自閉症児本人(ふー)が会話(コミュニケーション)が苦手という特性を理解していても、つい大声で怒鳴ってしまったり、叩いてしまったりしています。
後で冷静になってから自責の念にかられます。

しかし、ノノパパさんの記事を拝見していると共感する部分がたくさんあり、人ごとではいられません。記事の内容が会話のやり取りで記載されているため、ものすごくリアルに伝わってきます。

共感する部分というのは、ノノパパさんは奥様と別の暮らしを始めたようですが、我が家も女房が
近い将来に離婚を考えているようなニュアンスで話をするので、自分としては少々焦っています。

その背景には、自分が5年ほど前から病気(躁うつ病)になり、病気休暇をとったりしていました。そのため、女房は、自閉症本人(ふー)の他2人の子供の面倒に加え、自分の面倒まで加わり、彼女にものすごく負担をかけてしまい、半年くらい前から、うつ病で病院通いになってしまいました。
両親2人とも病んでいて、子供への配慮も不足がちとなっています。

ノノママさんはテンションが上がって朝早くから
メールがくるところを見ると、うつ病ではなく躁うつ病では無いでしょうか?
躁うつ病は、うつ病に比べ再発率が9割以上とかなり高くなっており、なかなか直りにくい病気です。治療薬も全然違ってきますので、一度主治医に確認される事をお勧めします。私も躁うつ病にもがき苦しんでいますが、最近はまあ何とかなるだろうと楽観視しています。

自閉症児への支援ですが、この4月1日から発達障害者支援法が施行され、発達障害者支援センターの設立に向け、各都道府県で作業を進めているところだと思います。
私も自分の体調を整え、そういった関係者と連携していきたいと考えています。


これからも、ノノパパさんの記事を楽しみにしています。
おはようございます。 ( みちこ)
2005/04/06 8:06:53
どうして、私に「自閉症」の子を授けてくれたんだろうと、今でも悩む時があります。
悲しいかな、一度や二度は死を考えたことがありますし。
でも、子どもの笑顔に支えられているのが
最近になって分かりました。
格好いい美談のように生きてやろうかななんて、野望もあります。
苦しい中でも、明るく生きているって
素晴らしいです。
障害児のいる暮らしぶりを公開していくうちに
どんどん周りに協力者が募ってくるといいですね。
励みにもなりますし、一般の方の自閉症の誤解を少しでも無くして行けると思います。
一緒に頑張りましょう。
PCでしか協力し合えないのが辛いところですが、お互いに少しでも心の痛みを少なくしていけるといいですね。




ふーぱぱさん ( ノノパパ)
2005/04/06 11:19:08
ふーぱぱさんはじめまして。
コメントありがとうございます。

やはり子供に対する父親の態度については、多くの方が考え、悩んでいる部分だと思います。
母親に子育ての負担を任せっきりになりがちですが、父親は父親としての子育ての役割を真剣に考えなければならないといつも思っています。

自閉症児を持つお母さんの中にはうつ病になってしまっている方が沢山おられます。それだけ肉体的な負担に加えて精神的な負担も大きいのだと思います。理想的には夫婦で
力を合わせて負担を軽減できれば良いのですが。

ノノママも、躁うつ病けのうつ病との主治医の診断でした。私もそこのところは深くは判らないのですが、先生はいろいろな薬を症状に合わせて使い分けているようです。

ふーぱぱさんも大変でしょうが、奥様もきっと大変な思いをなされていると思います。やはり私のように1人で居るのはとても大変です。ご夫婦でふー君を見守り育てていければいいですね!
これからもよろしくお願いします。


みちこさん ( ノノパパ)
2005/04/06 12:11:43
みちこさんいらっしゃいませ!
今一番忙しい時期でしょ!頑張ってくださいね!
かげながら応援してますよ!

ネットに公開して仲間を増やすのは、とてもいいと思います。一人で抱え込むと辛いですからね!話を聞いてくれる仲間がいるって思っただけでも少しは気が楽になることもありますよね!他の仲間とメールでも連絡してますか?公開の場とメールなんかの仲間だけの情報交換をうまく使い分けるともっと深いコミュニケーションが取れると思います。奥さん私にもメールくださいね

がんばってね!
ぶはっ(笑) ( みちこ)
2005/04/06 13:05:23
メールは夫と共用ですがよろしいですか?
ちゅどーーーーん!!
まだまだ他の仲間と交流というわけには行きませんが
旧友は良き理解者になってくれてます。
療育園のママたちとは、まだまだそこまでは
到達してません。
難しいですね。
夫の友人たちとはやはり疎遠になってしまいました。
いくら私さえ良ければ今までどおりのお付き合いしましょうと言ってくれても、
友人同心の掲示板では私のスレにレスが付かないことが続いたので、もう無闇に交際しなくてもいいかなと
諦めかけてます。
声かけづらいのは分かりますが、
気を遣わせてしまうのも忍びないからです。
悲しい現実ですね。
私がもっと積極的に輪に入ればいいのでしょうか・・・。
まだ結論が出せません。
あ、暗い話になっちゃいましたね。ごめんなさい〜。
では、またお話させてくださいねー。
みちこさん ( ノノパパ)
2005/04/06 13:24:40
こんにちは。
旦那さんさえ良ければ!
って私じゃなくてもお仲間とディープなお話をするには、公開の場がふさわしくない時がありますからね。自分専用のフリーメールなどを取得するといいかもしれません。(ちなみにgooでも無料の高機能メールがあります。お世話になっていますので一応宣伝まで
ネットで全国にお仲間を募るのはいいと思いますよ.

ありがとうございます。 ( みちこ)
2005/04/06 15:17:40
高機能メールですか〜。
どこまでも”高機能”という言葉に敏感に反応してしまいます。(笑)
情報提供ありがとうございます♪
よろず相談所(無料) ( ふーぱぱ)
2005/04/06 21:54:16
ノノパパさん、こんばんわ。

早速コメントを返してくれて有り難うございます。ノノパパさんの言うとおり、女房は自分にとって最高のパートナーと思っていますので、自分の体調の具合を見ながら、彼女の負担を出来るだけ少なくしてあげたいと思っています。

昨日からこのブログを見せてもらっているんですが、まだ全部の記事を読み終わっていないです。

しかし、まだ始めて間もないブログなのに、すごくコメントが多いのには驚きです。ノノパパさんが丁寧にコメントを返しているので、コメントした人にとっては、とても心地良いコミュニケーションの場なのかもしれませんネ。リピーターも増えるでしょうネ。

ところで、今日ある駅前広場に2人の学生さんらしき男女が座り込んで、店を開いていました。
その店の看板には「相談事を聞きます(無料)」と書いてありました。

「なぜそんなボランティアみたいな事をしているの?」と尋ねると、「今は誰かに話を聞いてもらいたいと思っている人が多いから、そんなコミュニケーションを取れないで悩んでいる人の話を聞いてあげるだけなら僕にも出来るから」と答えました。

たしかに、今の世の中パソコンが無いと仕事にならないけれど、私の職場でもパソコンのなかった昔と比べ会話が極端に減っています。
やっぱり、コミュニケーションを良くするには直接会話するのが一番だと感じました。

最後の別れ際に「頑張ってね」と私が言うと、「また、今度話しに来てください。週2回やっていますから」と言葉が返ってきました。今の若い者はと、よく愚痴る年配の人がいますが、今の若い者も、すばらしい発想と行動力を持って居るんだなと、感心して気分良く帰ってこれました。


ふーぱぱさん ( ノノパパ)
2005/04/06 22:24:07
ふーぱぱさんこんばんは。
コメントありがとうございます。

コメントを書いて頂ける方には、出来る限りお答えしたいと思っています。(私の力にも限りはありますが)

ふーぱぱさんのおっしゃる通り人と人とのコミュニケーションの基本は、直接会話することだと思います。家族でもそうだと思います。

老若男女問わずにやはり人の繋がりに気が付けば、きっと幸せにつなげるきっかけを得ることが出来ると思います。
そうした意味でも若い人もそれぞれの考えでしっかり立っている人が沢山居ると思います。

良いお話ありがとうございました。

しばらくです ( jasmine papa)
2005/04/08 15:14:23
先日はお世話になりました。
うちはノノパパさんの回想の時期をリアルタイムに過ごしているぐらいでしょうか。
このところ妻とは突っ込んだ話をすることが多く、もう最後かもというようなケンカをしては、少し優しく接し合えたり、不安定な毎日です。
恋愛感情からはしばらく遠ざかっている気がします…。
jasmine papaさん ( ノノパパ)
2005/04/08 16:03:32
お久しぶりです。ジャスミンちゃんは毎日拝見させてもらっていますが。
そうですね、ほんとにブログに書ける楽しいことばかりあればいいんですけど、実生活は、大変なことが多いですよね。でもジャスミンちゃんの笑顔で癒されますよね。
またお邪魔します。

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